映画「his」が刺さりすぎた件について

上映中、私はずっと半泣きだった。

私は氷魚くんだった。迅だった。

 

まず私の性癖の一つをご紹介させてください。(?)
カップルが1つのパジャマをシェアすることです。

映画冒頭、パートナーの迅(宮沢氷魚)と渚(藤原季節)はお互いの服を着て「似合ってる」なんて言って笑いあっている。
何て幸せな世界だろうと思った。
それと同時に、異性パートナー間でも成立するだろうやりとりだけど、同性であることでより違和感がなく、そして尊いものであるように感じた。

そのあとで渚から発せられる「別れようか」の言葉。冗談だと思って笑ってしまう迅。
言葉通り別れた2人は別々の人生を送ることになる。

 

前いた環境から逃げるために誰も自分のことを知らず、また特別親しい人を作らないために田舎に暮らす迅。そこへ娘・空を連れた渚がやってきて、一緒に住もうとする。
私は憤慨する。過去の恋をふっきれたとしても(実際にはふっきってなさそうだったけど)、ずっと一緒にいようとすら思っていた相手との別れによって生じた傷は大きい。

同性愛者と思っていた元パートナーが娘を連れていたときのショックは大きいだろう。自分と別れて誰かを愛し、結果子供がいるなんて。自分では絶対に与えてあげることのできない存在。絶望と怒りと混乱。誰が何を説明せずとも推測できるだろう。
妻とは離婚する予定であるという。迅に相談もなく迅のところに居座ろうとする渚。この時点で私は渚が大嫌いだった。どんな事情があれ、一つ屋根の下なんて信じられない。(のちのシーンと前後するけど、離婚調停のあれこれで弱り酔っ払い、キスをしようとしてきたときなんて寒気が止まらなかった)

初めは娘の空も懐いてはおらず、迅に対して恨みがましい目を向けることもあったが、次第にお互いを受け入れるようになる。「迅くんも(一緒に遊びに行こう)」と態度が軟化してきたときには母性だか父性も芽生えるだろうなと思った。
基本的に無表情な迅が、初めて笑ったのはクリスマスツリーを飾り付け、空が喜んだとき。記念写真を「3人で撮りたい」と言ったとき。(その前にもあったかもしれないけど)
こんな毎日が続いていくのならいいのかもしれない。そう思うのは、そううまくはいかないだろうって予想できてしまうからなんだろうなとぼんやり考えていた。

3人で暮らしていたところに、妻が空を迎えに来る。渚が勝手に空を「こんなとこ」に連れてきてしまったため、連れ戻しに来たのだ。娘を渡したくなくてすがりつく渚。母親に久しぶりに会えて嬉しくてついて行ってしまう空。それを見ているしかない迅。私は迅であるので(違うよ)、自分の好きな(好きだった?)男が自分よりも、自分を捨てて愛した女、そして娘を大切にしていることをまざまざと突き付けられたのだった。はー辛い。

一方で私は妻の玲奈(松本若菜)でもあった。主夫の渚に代わって働いているため、娘の好物も好きな絵本も知らない。仕事と家事と育児をワンオペなんて、この世界の誰にとっても難しいのは自明であるのに、離婚調停で相手方の弁護士にそこを突かれてうまく言い返せない。もちろん迅も渚も偏見まみれの尋問を受けて傷付いたり、自分たちの置かれている社会的環境を改めて実感させられたりもするのだけれど、私は働く女であるので、きっと同じ状況になるのだろうなと思い至って今から苦しんだのである。

子供の親権の話であるので、どちらが良い環境であるのかが争点になるのだけれど、(シングルマザー(同じ陣営のはずの母親も完全な味方ではない)VS 男性の同性パートナー)生物学的に親であることって強いなって思ってしまった。だってどっちかは親になれるんだもん。ただのシングルなんて自分で産まない限り親になれないんだもん。
これに関しては確かによい養育環境が〜〜という理由でそうなるのはわかるんだけどな。今後同性のパートナーが里親になりたいって申し出たら受け入れられてもらえる未来がくるんだろうか。(これは以前調べてから情報更新してないから今はどうかわかんないけど)

迅は美里さん(松本穂花)に告白されて断る。このときに「同性愛者だから」と理由を言うことはなかった。このことについて私は特に自ら言う必要もないだろう(性的指向なんて自由だから)と思っていたんだけど、本当は同性愛者だと知られることの弊害を恐れてだったんだなと知った。
多分卒業してすぐ勤めた会社で同性愛者の疑いをかけられたこと。同性愛者だったら1回くらい寝てみてもいいかな?と言われたこと。(そして渚が別れを告げた理由もここでなんとなくわかる)
同性愛者(マイノリティ)について興味津々なのはわからなくもないけど、不躾にぶつけていい言葉かどうかは私は「リバーズ・エッジ」で学んだ。未見の方はこちらもどうぞ。

渚の身勝手さについて文句はいろいろあれど、迅も玲奈もしっかりと代弁(代弁??)してくれていたので、ここでは割愛する。すっきりした。
同性愛者故、「普通」扱いされてこなかったから、結婚して子供ができて「普通」扱いされることで自分が救われた気持ちになったのはいいけど、そのツール扱いされた妻と翻弄される迅には同情を禁じえない。今思い出しても許せない気持ち。
やっぱり誰でもいいから男、じゃなくて迅じゃなきゃだめだって抱きついて泣き出す渚は相変わらず気持ち悪かったけど、拒んでも拒みきれずに泣き声になってしまった氷魚くんの演技すごかった。100点。泣いたわもう。

空ちゃんはうっかりパパと迅くんがキスしてるのを見てしまって、それを人前で話してしまう。狭いコミュニティでは広がってしまうのは自明で、働き口を見つけた渚の代わりに迅が出て行こうとしている。(出て行こうとしていることから、ゲイなのを言わないじゃなくて隠そうとしていたんだなと思った)
唯一定期的に交流をしていたマタギのじいさんに「人の噂なんてすぐ消える(意訳)」と言われて、そのじいさんのお葬式に3人で出席していることから、出て行かない選択をしたんだなとホッとする。
空ちゃんに「パパが迅くんを好きで、迅くんがパパを好きなのはおかしくないよね」って言われて、この価値観は迅と渚の交流がまた始まったことによって生まれたんだなって思って嬉しくなった。

その言葉に後押しされて迅は集落の皆さんの前でカミングアウトをする。誰もが固唾を飲んで見守る中、気にせず飲み食いを続ける(6歳の子供に盲牌を仕込むファンキー)ばあちゃんが画面の手前に映り続ける。「この歳になると男も女も変わんないよ」。誰もひそひそ話なんかせずに、そんな2人を受け入れる。優しい世界。

冒頭で言った、交換した服をお互いが持ってること(が判明する)について(=お互いに気持ちが残ってる)は特に感慨はなかったんだけど、
・空から父親が「手紙をもらうと嬉しいと言っていたこと」≒もらった手紙を保管し続ける迅
・母親が買ってあげると言ったピアノ≒父親が働き始めたパイプオルガン工房
と、”繋がっていく”ということが空が「おかしくない」って思った価値観が未来の世界に広がっていくのかなってところまで妄想した。

この映画は迅と渚と玲奈が空の自転車の練習(成果の披露?)に付き合っているところで終わる。観客がこれがラストシーンだろうなって思えたのはもちろんカメラワークもなんだけど、空の希望であった「パパとママと迅くんと一緒」が叶っていたから。ずっと一緒にいるわけではないけど、今後もありえる未来で、特別すぎるシーンではないんだろうなって思えた。

そしてこのシーンでは渚を挟んでの関係である迅と玲奈で秘密の共有が行われる。
(余談だけどこれは私が大好きな映画である「彼が愛したケーキ職人」にも通ずるところがあってちょっと感動した)

マイノリティにやさしい世界が現実でもはやく実現しますように!