心躍る「危険な関係」について

スキャンダラスな話をするのかと思うじゃないですか?
ところが残念、先日観劇した舞台のお話です。笑

ちょっと感じたこと呟いてはー満足...とはならず、あれもこれも考え始めてしまう次第......となるともう一回観たいな(←イマココ)状態です。

完全に蜘蛛女のキスと同じパターン。やられた。もう見に行く時間がない。。

 

この戯曲は、舞台化も映画化もされたことがあり、舞台が見れなくても雰囲気は味わうことができると思うので是非そちらに食指を伸ばしてみては?
私も先延ばしにしていたチャン・ツィイー版を見てみようかなとようやく重い腰を上げそうです。(直ぐに下ろしてしまう可能性も大)笑

簡単にまとめると、ヴァルモン子爵(玉木宏)とメルトゥイユ侯爵夫人(鈴木京香)の恋愛ゲームに巻き込まれた人々とその結末についてのお話です。
ヴァルモン子爵、キャラクターとイベントがしっかりしているから誰が演じても正直成立させられると思うの。でも、そこに匂い立つような色気と、説得力と、スタイルとさらにいい声まで身に着けている玉木さん最強。そりゃトゥルヴェル夫人(野々すみ花)も押されに押されて、既婚の身ながら恋愛に翻弄されている自分に惨めさを感じたって仕方ないよね。。

その対決相手となるメルトゥイユ侯爵夫人に鈴木京香さん。大人の女の色気と余裕そして上流階級を渡り歩いてきた度胸と狡猾さ、ぜーんぶ感じられる佇まい。とびきり胸ぐりの開いたドレスをお召しになっていても華やかだし、なんなら抱きつきたい。
こんな2人がかつて愛人関係だったなんて、そしてなんなら今もその関係を復活させるかさせないかで押し引きを繰り返してるなんて、むしろそれだけで2時間舞台は成立しそうなものだった。(てかそういう話だけどね)

 

ことの始まりは、侯爵夫人を裏切ったというジェルクール伯爵が婚約するとのこと。お相手は何回りも年下のセシル嬢。修道院で教育を受けた清らかな乙女という出自は、この時代の上流階級で求められていたバックグラウンドだったよう。
セシル嬢の母親は、ヴォランジュ夫人。侯爵夫人と友人のようでいて、侯爵夫人はそう思ってはいないみたい。ヴォランジュ夫人は、セシルのことについて侯爵夫人に度々相談を持ちかける。

ジェルクール伯爵への復讐のため、侯爵夫人はヴァルモン子爵にセシルを奪うように依頼する。けれど子爵は別の女性を狙っているようで、一旦は断る。トゥルヴェル夫人にアプローチをするも、けんもほろろに相手にされない。なぜかと言えばヴォランジュ夫人が「子爵には気をつけて」と忠告をしていたから*1

このことから、メルトゥイユ侯爵夫人とヴァルモン子爵の利害は一致し、セシル嬢並びにトゥルヴェル夫人を落とすために周りの人々を巻き込んだゲームを始める。

 

セシルはだいぶ年上の婚約者がいる一方、騎士ダンスニー(千葉雄大)と恋に落ちる。キスどころか、なかなか手を繋ぐこともできない奥手なダンスニーにもやもやするセシル。手紙のやり取りをしているのを母親に見つかって没収されてしまう(これは侯爵夫人がヴォランジュ夫人へ告げ口の結果)。 
ダンスニーやセシルに、2人の間を取り成すキューピッドを装って接触する侯爵夫人と子爵。ピュアすぎるダンスニーやセシルは、この謀略渦巻く舞台の中でちょっとした笑い部分を担っている。観客から見るとアホの子みたいで微笑ましいし、侯爵夫人&子爵からすれば操りやすすぎて滑稽だったことだろう。
その甲斐もあって、セシルは何でも侯爵夫人に相談するようになり、子爵が合い鍵を作ることにも強く反対はできない。ダンスニーも紳士としての恋愛の仕方を子爵から教わって、徐々に行動できるようになっていく。

侯爵夫人は子爵にあれこれ言って自分の復讐を達成しようとしているけれど、一方で子爵は侯爵夫人とまた愛人関係を再開したいと考えている。侯爵夫人にはそのつもりはないけれど、目標を達成したならば、一夜だけその関係に戻ってもいいと告げる。

無事、手紙を盗み出してセシルに返すという名目で作成した合鍵で、子爵はセシルの寝所に忍び込む。そこでセシルの花を散らして終わりかと思いきや、セシルは抑圧された環境でいたことへの反動なのか、「明日もまた来て」と告げてしまう。そうして子爵に商売女よろしく、いろいろ仕込まれてしまうというわけ。
一方でダンスニーは、メルトゥイユ侯爵夫人の新しい愛人となっている。初めて恋をした少年のようなダンスニーはもういない。女性経験と引き換えに純真さを失ったかのように、あるいは自分に与えられた快感がもう手放せないというように、真剣に侯爵夫人に愛を誓っている傀儡のようにさえ見える瞬間がある。侯爵夫人はもう新しい相手は必要とはしていないというように、子爵よりも若い男を囲っているところを見せつける。
...けれど、セシルからの手紙を渡すと、侯爵夫人なんてはじめからいなかったかのように、一目散でセシルの元へ駆けつけようとするダンスニー。置いてけぼりを食らった形になった侯爵夫人はどのようなことを考えたのだろう。子爵の誘いを断るための駒として置いておいただけだった?ただの遊びのつもりだったからいなくなっても構わない?若さだけが取り柄で知恵も経験も足りない小娘の方が魅力的だと思われていることに対して憤慨した?自分にはもう女としての魅力が欠け始めているのだと悲しくなった? その答えは、どこにも描かれることはなかった。

 

トゥルヴェル夫人へのアプローチを続ける子爵。侯爵夫人に、トゥルヴェル夫人からの一筆(ラブレターの類)をもらってこれたらゲームクリアだと言われていたので、まずは夫人を落とすところから。貞淑な夫人は全く相手にしていないと言いつつも、真摯に自分に愛を伝えてくれる子爵に少しずつ惹かれていく。それでもこの気持ちは恋ではないと自分を誤魔化し続ける。子爵は子爵で、これはゲームのための偽りの恋心なのだと信じきっている。
ついにトゥルヴェル夫人は子爵の手の内に落ちる。満たされているのは夫人だけではなく、子爵までもゲームであることを忘れているようだった。こんなに、こんな形で人を愛したことがないと感じているような子爵の姿、相手を利用しようとしているようには感じられなかったんだよねぇ。

 

トゥルヴェル夫人をものにしたこと、その様子を侯爵夫人に伝えたところ、それは「本当の愛」ではないか?と子爵に疑問を投げかけるメルトゥイユ侯爵夫人。躍起になってそれを否定する子爵。それならば、とトゥルヴェル夫人を捨ててくるように指示する侯爵夫人。

侯爵夫人の予言めいた物語の通り、あらゆることに対して「僕にはどうしようもない!」という言葉でトゥルヴェル夫人との関係を清算する子爵。メルトゥイユ侯爵夫人の「女が女を傷付ける時には決して急所を外さない(意訳)」との言葉が恐ろしく身に染みる。侯爵夫人からの言葉の刃を、身を焦がすほど愛した子爵から受けたことによって、トゥルヴェル夫人は心を病んでしまう。

子爵は夫人を捨ててきたことをメルトゥイユ侯爵夫人へ報告する。夫人への気持ちは決して恋なんかではなく、ゲームの一環であったと。欲しいと思っているのは侯爵夫人との関係だと。トゥルヴェル夫人への気持ちが本当ではないと否定したかった子爵は、それほど侯爵夫人を求めていたということなのか。多分違う。ゲームの中で作り上げる関係だったのに、本気になっている自分を受け入れられなかったのだと思った。恋愛=遊びだと思っていたのに、それとは真反対のトゥルヴェル夫人を好きになってしまったこと、貞淑な妻など存在しないのだというある種の虚無心、侯爵夫人をいつでも求め続けているという自分への建前を子どもっぽい意地から守りたかったのではないかなって私は想像してしまった。
それから、侯爵夫人に対する子爵の気持ちがある種の好意から憎悪に変わっていくのが表情で見てとれて恐ろしかった。これからどんな展開が待っているんだろうって。

 

場面は変わって、ダンスニーとヴァルモン子爵が決闘を行っている。なぜそうなったか経緯は自明だから省略されたのかな?と思ったけれど(見た記憶がない)。明るい顔、侯爵夫人に憑りつかれたかのような顔とはまた違って、セシルを謀略のために傷物にした子爵が許せないと怒りに燃えている。そんな顔もできるキャラクターだったんだと、シーンが変わるごとに驚いた。騎士ダンスニーVS子爵という割には、子爵が優勢に立つ場面も多くて??と思ってしまったのは内緒だけれど笑、最終的にはダンスニーが勝利して終わる。息を引き取る直前、メルトゥイユ夫人の悪行についてダンスニーに託す子爵。ダンスニーはそれを子爵の叔母で保護者的存在のロズモンド夫人に送り付け、社交界でメルトゥイユ侯爵夫人は失脚する。

最後、侯爵夫人は目隠しをされて暗闇の中をくるくるしていた。これは侯爵夫人でさえも社交界と言う中での駒の一部に過ぎないってことの暗喩なのかなと思っていたのだけれど、原作では天然痘にかかって目がつぶれて美しさを損なうという物語だったみたい。きっとこのことも意図されていたのだろうね。

色々省略しながら書いてはみたけど、もっと細かいところまで見て書きたかったなぁという後悔。
演劇雑誌の一つで、玉木さんのヴァルモンには深みが足りない(=余裕がない?)と書いてあって、それもまぁ正しい感想だなと思った。個人的な感想としても、色気で籠絡するという説得力はあったけど、知略によってというよりももっと表面的な手口でっていう印象があったかな。策略VS策略ではなく、有無を言わせない色気と女を手玉に取るための口八丁VS色気だけに頼らない社交界に生きる女の策略という対比でこの舞台を見せていてくれたのかなと思ったからそれほど違和感は感じなかったけれどもね。

 

ふと、子爵と侯爵夫人を見ていて、光源氏藤壺もしくは六条の御息所をふっと思い出すことがあってね。日本でもフランスでも、結局愛だ恋だ言うのは昔からあったのだなぁーと思わされるばかり。 

結局抑えきれなくてこれだけ書かせてもらっちゃいました。
危険な関係」とは、何を示すものだったのか。1回しか観劇していない身ではこの問題を考察することはできなかった。セシルやダンスニー、トゥルヴェル夫人を口説き落とす熱い文句についてももっと触れたかったな。


再演よ、はよ!!
(大千穐楽おめでとうございます!!)

*1:夫人が若いころ二股をしていたところに、さらに間男として入ったのがヴァルモン子爵だという経緯がある