2017年10月鑑賞記録

63.ドリーム / Hidden Figures (2016年•米)
邦題騒動で話題になってよかったのでは......?と思うほどの良作。
あー観に行くことにして本当によかった!!!!

黒人で女性では、当時のアメリカでは持てる実力のすべてを発揮するには権利環境も人々の受け入れ体制も整っていなかった。
みんな配偶者もいるし(もちろんブラック同士)、仕事を得てはいるんだけど、管理職にはなれないし、会議体に出席もできない。マスキングされた情報しか与えてもらえない。同じ仕事をしているのに部門も白人と有色人種は別だし、なんならトイレは800m先の建物まで行かないと使えない。コーヒーメーカーのコーヒーだって同じものを使うと白い目で見られる。
優秀だと自覚していても、タスクを負っていても認めてなんかもらえない。それでいて仕事に手を抜こうものなら簡単にその地位を奪われる。
家族にくらい支えてほしいのに、無茶はするなと制される(そりゃ自分たちも謂れのない差別を受け続けてきたからこそ傷付けられるのが怖いしそれを危惧してくれてるんだとは思う)。

当事者意識で観ていたからこそ、この環境は辛すぎてダメージを一緒に受けてしまって本当にしんどかった。。
だからこそ「ここ(NASA)では尿の色は一緒だ!」と言ってトイレの”有色人種用”のプレートを叩き落としてくれたタスクグループのボス、出迎えた黒人女性にも声をかけて握手をしてくれた宇宙飛行士、才能があるのだからエンジニアになるべきだと背中を押してくれたユダヤ人エンジニアの分け隔てない言葉に何度となく救われた気持ちになったんだ。

計算士としてタスクグループに配属されたキャサリンは、まだコンピュータがない時代だから演算確認しかさせてもらえず、報告書には自分の名前を載せてもらえることはない。機密情報だからと言って同じ部署の情報も明かしてもらえず、前例がないからといって認めてもらえないことが多かった。それでも、できる範囲でかつその部署の誰も気付いていない計算式を発見して計画に貢献した。それでも主任には認めてもらえなかった。そこまでは今まで感じてきた一線なのだから我慢できた。

ある日、キャサリンが爆発した。ボスに「1日40分も席を空けてどこに行ってるんだ?」と仕事をサボっているように言われたからだ。彼女は答えた。「この建物にはない、800m先にしかない私のトイレに1日数回行くことも許してもらえないのですか」と。
ボスは白人だから、トイレが分かれていることを知らなかった。*1
ボスは仕事にしか興味を払っていなかったから、当然そんなことには気付いてもらえていなかったけれど、その後の行動が早かった。前述の通り、NASAでの(少なくともトイレは)区別しないで使えるようにしてくれた。

”前例がない”ということで出席できなかった会議も、毎日変わるデータを即座に入手できなければ正しい計算はできないとうまく丸め込み、「会議では絶対発言するなよ」と釘を刺されて入室を許可される。部署の男性陣が答えられない質問にさらさらと答え、その場の黒板にあっという間に答えを書き出してしまう。その様子を見た宇宙飛行士は、スペースシャトル打ち上げの日に発生したトラブルについて彼女の演算確認が取れてからじゃないと飛び立たないと言ってくれた。
見事、周回軌道飛行を達成させ、飛行船はキャサリンの計算通りの海上に着地することができる。手を取り喜び合う人たち。

最後に、キャサリンは報告書に連名で自分の名前を載せることができる。

エンジニアの部署に配属されたメアリー。警察に突っかかっていってしまうほど猪突猛進型。エンジニアになるための学位を取った方がいいと言われるも、技術者になるための社内規定では指定の学校に通うことを通達される。しかしそれは白人専用の大学もしくは白人専用の高校の夜間部。ここでも「白人専用」「女性」という前例がないといって退けられてしまう。ここで憤慨しつつも、冷静に論理的にそして情熱的に地域の裁判官の進んできた”前例のない”キャリアを指摘し、前例を作るためには自身も、そして裁判官も最初の人間になるしかないと説く。

あークレバー。この演説ちょーかっこよかった。

黒人女性の部署の主任的立場のドロシー。前任者が辞めてからというもの、その仕事を肩代わりしているお陰で職場は回っているのに、”黒人が管理職になったことはない”という前例のため、かねてから申請している主任のポストにつくことはできない。同じ税金を払っているのに、図書館では白人用のフロアに置かれている図書資料を読むことさえできない。元々機械系には強かったのだろうけど(3人のシーンは彼女が車を修理しているところから始まる)、NASAに導入されようとしているコンピュータを誰よりも早く正しく扱った。それでもコンピュータについて勉強し、それが導入されたら自分たちの仕事がなくなるのを承知しており、それを先読みして仲間たちにもプログラミングを勉強しておけば仕事がなくなることはないと助言する。そして本格的に導入されたと同時に、部署の女性たち全員でそこに所属できるように働きかけた。
最終的には主任というポストを得、白人のグループからも教えを請いたいという要望を受け入れるのであった。

女性白人の計算部署のリーダーから「私は差別してなんていないわ」と言われ、「わかってる。ただ、差別しているという意識がないってことをね(スーパー曖昧)」
超すっきりしたと同時に、このセリフの末恐ろしさを感じない?意識していないだけで、誰かを差別していたり下に見ていたりすることがあるって、しかもそれを受け取る方は敏感に察知しているのだって改めて伝えられた気がした。

実際の話とはいくらか脚色されているから、年号とかちょっとずつ違うみたいだけれど、歴史に埋もれていた女性の話が少しずつでも日の目を見ることができる作品であってくれてよかった。

個人的には恋愛模様の部分は蛇足だったけど、あれがあることで同じ黒人でも女性は表に出て働くものではないという認識を持っていることなんかはわかったかな。仕事だけの話でもリアリティないしねー。

原題のHidden Figuresって、キャサリンが数学者であったことと、渡された資料の虫食いの部分のことなのかな?と思ってたけどfigureって人物って訳もあったんだね。確かに、歴史に埋もれた彼女たちのことを示すのにちょうどいいダブルミーニングだったんだ。(それなのに日本タイトルって一体......)

 

64.アウトレイジ 最終章
「全員悪人」「下剋上、生き残りゲーム」→「全員悪人 完結」「一番悪い奴は誰だ?」→「全員暴走」というキャッチコピーの変遷。

お家騒動と逆転を狙う組と、そして大友側の簡単に言うと三つ巴のような。暴走の名に恥じない大暴れっぷり。
もう観に行ってから1ヶ月くらい経っちゃったので記憶が薄れてしまったので、以下割愛するけど、あの結末のつけ方、私には意外だったな。もうほんとにこれで最後なんだなーって。

形はどうにも真似できないけど、自分の信じるものと自分の内側にあるものを大切にできる人だから、シリーズ続いても見続けられた気がする。

アウトレイジシンゴジラに負けず劣らず、おっさんのわんこそば(※コワモテ多し)な映画だよね。

 

65.ナラタージュ
トレーラーその他のキャッチコピーでは「壊れるくらい、あなたが好きでした」ってあるんだけど、私がこの映画の感想を言うとしたら、「あなたは好きだった人を思い出す」なんだよなぁ...これは一番最後に公開日をアナウンスするときに出てる文句ではあるんだけど。こっちの方がしっくりきた。

映画を通して感じるのが、”叙情的な雰囲気”で行定監督っぽいなーと思っていたんだけれど、何よりも驚いたというか新鮮だったというか予想外だったというか期待値を超えてきてくれたと感じたのが、松本潤さんの佇まいがとても文学的で...きらきらとかいかにも松潤!!!!!って感じのオーラは一切感じられなくて、人間的に弱くて都合のいい理由や動機をつけて自分を正当化する女の敵!(私見)の葉山そのものだったんだよねぇ。さすがに骨格レベルまではイメージが合わなかったのが残念だったけど。笑

あ、でも俳優の印象が反映されてるって思ったのが、終盤、泉が葉山に「これは恋じゃない」って言われるところ。葉山はちゃんと(というか彼にとっては)この関係が”共依存”であることを自覚していたんだよね。実は。ただ逃げてるだけって印象が強かったけど、少しはそう思ってたんだなーそれならまだ救いようあるかもというかいつかちゃんとしたところに納まらなきゃならないことを知ってる大人だったんだなって思ってちょっと好きになった。少し疲れちゃった奥さんと距離を置いてはいるけれど、いつかまた支えて生きていくんだって意志がある、実はちゃんと芯のある男だって思わされたのは、間違いなく俳優の力だったなって感じた。

少女(って年でもないか、大学生だもんね)だったことがある私からしても今まで生きてきた中で一番の恋を「それは恋じゃない」って例え付き合ってた張本人に言われたとしても(ってかそれならむしろ)は???恋だし!!!!!!って喧嘩腰断定してしまうと思うから笑、冒頭で書いた「壊れるくらい、あなたが好きでした」って言ってしまう気持ちはわかるなーと思って、ついでにいろいろ思い出して苦しくなったりしてね。

東出くんといい、坂口くんといい、こんな嫌われポジションの役をうまくやっちゃえるのに、好感度が下がらないって誠に羨ましいこと限りなしなんだけれども、ちょっと気になるのが、こういう好感度高い俳優さんが嫌われ役(私の中の小野くんはどちらかというとそういう分類なんす)を演じることによって、役の印象はどうなるのかなってこと。
もしかしたら、「他に好きな人がいても好きでい続けられる一途な人」「本当に泉のことが好きで好きでしょうがなかったんだな...いいやつ」って感想を持つ人もいるのかもしれないなーと思ってね。それは人それぞれの感じ方だから私がどーこー言いたいわけじゃなくて。病院から帰ってきてから「やっぱり先生のところ戻りたい」「離したくない」「小野くんが私に対して感じてる気持ちが、私が先生に対して感じてる気持ちと同じなんだよ」って件、うわー小野くんが感じる胸の痛みを共有できるわ...って同情する一方で、好きでもない男(そこまで泉の気持ちがマイナスに傾いてるわけではないと思うけど)に抱きしめられるその居た堪れなさというか気持ち悪さというのが浮かび上がってきちゃって―――――自分のことを棚に上げて、自分本位な男だったなってより嫌悪感を感じてダメだった......(勝手すぎる)

坂口くんの滑舌(と言っても気になるのはサ行だけなんだけどさ...)、前からずっと気になっていてとくに64かな?あの時はちょっと聞くに堪えなかったんだけど、同時期の重版出来(もしかしたら64と重版で感じた印象逆だったかも)では改善されていて、なんか厳しい舞台にでも当たったのかと思ったらそういうわけではないのかしらね...........ちょっと今作でも気になってしまった。。
別にね、現実世界の全員が全員クリアな発音してるわけじゃないから、そこまで細かいこと求めんなよってセルフツッコミするんだけどさ、ただこれは個人的に気に障るからここではやいやい言わせて......

(あんまり取り上げられてないけど、実は葉山の不倫、)小野くんから泉へのデートレイプ、柚子ちゃんの知らない人からのレイプ、文学から映画、そして日本人俳優で演じられることによってより身近にあるような生々しい印象を受けるけど、やっぱりどこか遠いことのようにも感じる。でも、私の周りにはこんな被害を受けた人が数人はいるんだから、ただフィクションとして終わってほしくないなって。作り手もそこまで思ってはないだろうけど。

現在に戻った泉はまだ懐中時計を大切に持っている。でも過去にしがみついてるだけじゃなくて、時計が再び動き出したようにちゃんと前へ進んでいきそうな、そんな光ある終わり方でよかった。そこに瀬戸くん(役名なんだっけ)がいてくれたことが羨ましいよ!!!!!

 

66.恋と嘘
結婚相手は自由恋愛か政府通知かによって選ぶという世界。前者で結ばれても苦労するので結局破局してしまうことが多い。

葵と司馬くんは付き合ってると思ってたから、自由恋愛を選ぶのかと思ってた。もしくは、お互い政府通知が届くまでの期間限定の恋だと割り切ってるのかと。だから付き合ってないって知ったとき結構びっくりしちゃった。

結構雑な作り(映画以前に)なのが気になったんだけれど、これって漫画原作だからいくらか端折られた部分があるということなのかしら?
・政府通知の相手は自分より年下か、年上でも婚姻関係にない異性が対象となるのか*2
・そもそもDNA情報を政府に把握されている方がよっぽど恐怖
・だからこそ、寿命が短い人/同性愛者は対象にならないのか?
・遺伝子の掛け合わせをしていされることで、遺伝子の多様性が均一化されるのでは?(そこは調整されるのかもしれないけど、政府の方針によってコントロール可)
・誕生日当日に相手が来るかもしれないという可能性を考えていて、どうして本気の服を着て他の男に見せてしまったのか?
・高千穂くんは学校行ってないの?
・唐突に下の名前で呼ぶそのタイミング
・親に反発したままどうして個人名で結婚式を挙げられるのか
・どのタイミングでやっぱり司馬くんが好きなんだと思い始めた??
とざっと軽く思い出してもこれだけ違和感あったんだけど、フィクションだしと割り切って観ることができる人なら楽しめると思う。
ほんと自分理屈っぽくて嫌いだわー。
でも、映画の7割だか8割は脚本で決まるっておっしゃった監督がいたはずだから、その点で言えばもうちょっと丁寧に作ってくれても嬉しかったな。

森川葵ちゃんの妙に明るすぎるキャラに違和感を感じまくりだったんだけど、今どきの女子高生ってそういうテンションなのかな?と一回飲み込もうと思ったくらいだった。笑 キャラを作り込み過ぎないと決めた後からは自然だったからな......結構見続けるの辛いレベルのはしゃぎ空回り具合で......

でも、伏線の回収は上手くできていたので映画自体にそこまでストレスを感じることはなかった...かな?()最終的に高千穂くんは司馬くんに葵を幸せにするって即答してくれたしね。
(わたし、エンドロール途中で外に出たため、悪評高いラストシーンを見ずに済んだらしい)

設定が面白かった割に、内容が高校生の恋(※恋愛ではない)で終わってしまっていたのが物足りなかったのかも。

 

67.ル·コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ / The Price of Desire(2015年·愛白合作)
これもまた、邦題に振り回されたなぁという印象。女性建築家の作品が他有名建築家のものと思われていたけど、2000年台になってようやく彼女の作品だって認められたよ、ってあらすじ。

人間ドラマ以外はほとんど史実の基づいているようで、だからこそ、悔しかったな。

構成としても、ドラマ部分と、実際の人物のインタビューで成り立っていたので完全なフィクションって感じではなかったし、ドラマ部分でもカメラ目線でセリフを吐いたりしていて新鮮ではあったけれども、退屈でもあって。。

”それは嫉妬か、愛憎か”...この映画のキャッチコピーはそう謳っている。どっちにしろ迷惑だなって感じだし、アイリーンがコルビュジエのものにならなかったことも、自分よりも建築的才能を持っていたことも、建築論含めその視界の中に入れてもらえないように感じていたこともどうしようもないし、だからといって男性優位の社会をそのまま利用して手柄をそのままいただくのもねぇ、って感じ。
まぁアイリーンも自分の作品を奪われてしまったことも、自分の作品を自分の名で広めることができなかったことも悔しくはあっただろうけど、多少の諦めがあったのかも。
だからこそ恐らく(コルビュジエにとっての)一番の悲劇はアイリーンがコルビュジエその他のことを全力でぶつかってどうにかしようという強い感情を生まなかったことなのかもしれない。

 

68.愛を綴る女 / Mal de pierres(2016年•仏白加合作)
なぜ「愛を綴る女」なのか。その意味は終盤でようやくわかった。

感性が少し人と違うことから家族からも厄介者扱いされて、労働者の男と結婚させられる。ジョゼはカブリエルが美しいと言っていて、結婚生活もまんざらではなく思ってくれそうだったのに、ガブリエルは自分の恋が上手くいかなかったことからジョゼに抱かれる気はないと宣言してしまう。けれどある日、女を買いに行くジョゼを引き止めてその関係が変わっていく。

この映画は、夫婦が息子を連れてピアノのコンクールに向かうシーンから始まる。だから、このカップルの展開はどう落ち着いていくのかなって予想しながら見ていたのだけれど、ありがちだけれどあんまり予想してなかったので驚いた次第であります......

腎臓結石のため、流産してしまうガブリエル。その治療のため、高額な温泉療法の施設に入れてもらう。(うさんくさいよね)高額だと聞いたけれども、ガブリエルのために支払うと言ってくれるジョゼの愛にホロリとしながら(流産した時も子供が欲しいと言ってくれたしね)、3週間も療養所にいることにうんざりするカブリエルに共感してみたりして。
そこでアンドレと運命の出会いがあるわけなんだけれども、あまりにものめり込んで愛しすぎてしまうと幻想にも気付けないものなのかな、って思ってしまった。

救急車で運ばれたアンドレが戻ってきて愛を深めた、その結果彼との子供を身籠ったのでいつか出て行くと宣言するガブリエル、実はアンドレと声を交わしていて、子供の父親がおそらく自分であることを知っていたけど彼女が目を覚ますまで黙っていたジョゼ。アンバランスだけれど、ジョゼの深い愛によって包まれていたことを観客の私もだけれど、ガブリエルも実感したんだろうな。

そこで掲題の愛を綴る女。実家にいたときに懸想した男にも、一緒に逃げることができなかったアンドレにも手紙で思いを伝えるガブリエル。アンドレに送れども送れども返事は返ってこず、あまつさえ全部返送されてきてしまう(子供みたいに毎日郵便屋さんに詰め寄る姿がもう切なくて切なくて)。この言葉を書き連ねて愛を伝えるところからこのタイトルがついたんだなーってようやく実感できた。

息子を連れてピアノコンクールの会場に向かう道中、もう飽きるほど書いたアンドレの住所の通りを見つけ、タクシーを飛び降りてしまうガブリエル。そこにいたのは、アンドレの部下。その時に初めて、アンドレが救急車で運ばれた日にそのまま亡くなったことを聞かされ、自分があの日愛されたことが全て自分が見ていた夢であったことを知る。大切に隠し持っていた、一緒に撮ったと思っていた写真には自分1人しか写っていなかった。いつか迎えに来てくれるだろうという期待と諦めとそれが全部自分が見ていた幻だと気付いたときの虚無感。とっても居た堪れなかった。

場面は切り替わって、コンクールで息子はピアノを弾いている。ガブリエルは会場にたどり着いていない。弾いているのは、アンドレとガブリエルの思い出の曲、ドビュッシー舟歌。その曲がとっても綺麗で、でも過去の思い出でしかなくって。でもねー、そんな悲恋を象徴しているような曲なんだけどキラキラしてる曲なんだよねー。それを奏でているのがジョゼとカブリエル2人の子供ってところが、未来に繋がっていく感じがして仄かに明るいんだ。

場面は違うけれども、息子がピアノの演奏を家族に披露しているとき、ガブリエルの反応が薄くて、ガブリエルの母親は「あの子は息子に冷たいのね」とジョゼにこぼす。するとジョゼはちくりと「愛を知らずに育ったからです」と。Hooo......かっこいいぜ。そうだよね、ガブリエルは妹以外には心を開いていなかったし、両親に疎まれていることを知っていたから、親子の愛がどういうものだかわからなかったんだと思う。そんなガブリエルが笑顔になるシーンはほとんどないんだけど(恋をしてた2人に対してを除いて)、ジョゼと一緒にいるときにも笑顔を見せるようになっていて、心の傷として残っていなくてよかったって。

この映画の主題はまた別にあると思うんだけど、私が感じたことといえば、仮面夫婦契約結婚みたいな関係って割り切って始まったとしても上手くいかない(今回のケースは結果的にポジティブな方向に転がったけれども)んだなーってこと。今後の身の振り方の参考となりそうです。笑

ルイ・ガレル初見だったけれど、ロバート・パティンソンに似てない?生理的に受け付けなくて全然ロマンスに浸れなかったー。笑 検索すると神木くんの画像が出てくる意味がわからない。髪型かしら?

このガブリエル役、どうしてもマリオンに演じて欲しくて5年待ったんだって。構想◯年とはまた別の意味で、その熱意があることも、そうまでして求められるというのも羨ましいな。

 

69.ミックス。
うーん、スポ根ならスポ根で、恋愛要素なくてよかったのでは??と思ってしまった。トリガールみたいにネタっぽく振り切れてくれてたらよかったんだけど、迎えに来た萩原が多満子にキスした時点で、やっすいラブコメになってしまってすごい残念だった。。
とはいえ、特に深みのある内容でもなかったんだけどさ......卓球を間に介してるからちょっと物珍しさがあった気がしたんだけどね。

オールスターキャストというのは確かに納得だったんだけど、瀬戸康史タイミング違えば推してたなぁ...ていつも顔面見るたびに思う。笑
エンドロールで中村アンって流れてきて、どこに出てるのかな?って思わなかったけど、吉田鋼太郎さんのペアだったんだね。おそらくキャリア役で。いいギャップでしたー!

公開前にガッキーと瑛太がスポットCMに出てたけど、2人ともテンションが低くてあまりにも番宣する気がなさすぎて笑えてきてしまったのを思い出した。

 

70.朧の森に棲む鬼
舞台(って言ってもゲキシネだけど)で観る染様って全然くどくないんだよねぇ...それだけのスケール感で劇場を満たしているように感じるからかしら。

ストーリー的に言えば、リチャード三世のような、黒執事のような、まぁよく出くわすような話なのに、観ていてやっぱり新感線だな!って思ってしまうのってなんなんだろ。

真木よう子さん、歌は普通に歌える方と思っていたのに、舞台で歌って演じていらっしゃる方々と並ぶと、やっぱり声が細くて小さいのね。でもさすが舞台上での雰囲気がすごくてねぇ......気が張ってるようなイメージの役が多いのでそうじゃない役も舞台上で拝見してみたいなと思った。

 

71.斉木楠雄のΨ難
初めは笑いどころが少なかったけど、後半に向かうにつれて観客の笑いが増えていくのが面白かった。笑

いい意味で(?)内容がなかったのでそれほど感想もなく......あー福田組って感じの座人なんだよね。好きだから別にいいんだけどさ?短期間で何回も見ると、作品の印象よりも役者の顔が頭に残りがち。作品よりも役者に観客はついてくるという日本人の特性からしてみれば、ちょっと残念かもね。

 

72.先生!、、、好きになってもいいですか?
これって分類どうしたらいいんだろうね。

ふとこれが、コンサートにおけるファンサ=認知を求める群と、ただただエンタメを楽しみたい=見てるだけでいい群との違いに類似しているのかなぁと考えてしまった。

でもこの映画には、見てるだけでいいなんて人たちは一人もいなくて。
それが、逆にリアリティがないなと感じてしまう部分ではあるのだけれど、そもそも告白もしない、ずっと誰にも好かれないなんていう現実、映画になんかできないだろうなという結論に辿り着くんだけどね。そんな前衛的な映画、作ってくれたら是非観に行きたい。笑

番宣では、恋をしたくなる映画と言っていたけど果たしてご覧になった皆さんはどう感じたのでしょう。
私にとっては、フィクションよりもファンタジーに終わってしまった映画だったかな。(伊藤先生な斗真とだったら恋はしたいよ?)

......そういえば彼女を作らない理由みたいなのって映画では明らかにされなかったよね?

 

73.彼女がその名を知らない鳥たち
クズとゴミとカスしか出てこない映画(乱暴)。

とは言いつつ、お姉ちゃんと阿部さん演じる陣治は別にクズではなかったんだけどさ。

私が陣治がただの下品で不潔なただのストーカー野郎ではないと確信したのは電車のシーン。電車の中にいる陣治を突き飛ばす形で飛び乗ってきた男に十和子が気を取られているのがわかって、発車間際にホームへ突き出した。
十和子は「なんでもする」と言っていた陣治の「なんでも」が言葉通りのものに感じられて、末恐ろしさを感じたんだと思うのだけれど、私は十和子に近付く危険なものは全て排除しようとするどちらかとうと保護者のような愛だった。でもその沼の底みたいな目を見て、死んだ目をする俳優さんは阿部さんから始まったのかなとかなんとか考えてしまった。

冒頭からここまで、陣治は彼氏どころか同居人以下の扱いを受けている。身体に触ってしまった際、「出ていけ!お前は種無しのどじょうや!」と罵られ(種無しってどの段階でその情報を共有したんだろうね?)、十和子の家に勝手に押しかけているのかと思いきや、そこは2人で住むために陣治が買ったマンションだったりするんだよね。

十和子の働かないクレーマーぶりにも早々に嫌気が差したものの、大切な時計を修理できない末に、代わりの時計を選んでくれたのがちょっと気になった水島でないことに悲しさを感じて泣き出してしまう。そこで、「こうするしかないと思って」ってキスする水島ね......きっとあぁいう人種には同族がすぐにわかるんだろうなーって思った。
機密書類を失くしたのは全て陣治のせいだと言って十和子を責め、妻と別れるつもりだと言っては別の女と逢い引きし、趣味の一人旅での感想は、まんまガイドブックの受け売り。自分で選んだといった時計は露店の数千円のものだった。

その後、十和子は姉に電話して「大阪を離れるかもしれない」と告げる。果物ナイフを買いながら。その標的となるのは陣治だと頭の中で思い描いていたのだろうか。

結局紛失したと思っていた顧客情報は社内にあり、自分とはただ身体の関係のために会っているのだと思ったのだろう、それまでの鬱憤や不安から十和子は水島を刺してしまう。その瞬間、失踪したと思っていた黒崎を刺殺してしまったのは自分だということを思い出し、死体の処理などして自分を庇ってくれたのは陣治であることを知ったんだ。

陣治は十和子が笑顔でいてくれるのなら、その笑顔を自分が見ることができなくてもいいと言う。十和子が思い出してしまった辛い事実を全部自分が背負っていくから、気にしないで生きてくれという。
それは果たして愛と呼んでいいものかはわからない。
それは私だけでなく”彼女も知らない”、何と呼ぶべき感情なのだろうか。

掲題の”鳥たち”。映像では最後の最後まで描かれなかった。きっと、陣治の十和子への気持ちなんだろう(それにしても複数形?)と思っていたけど、それであの結末って。。十和子がほろりと流した一筋の涙の理由は一体なんだったんだろうね。自分のためではなく、陣治を思って流してくれていたら何よりだな、と願った。

最後の暗転してからの十和子のセリフ、すぐに忘れちゃったけど「私の恋人」って陣治を称していて、なんだか勝手に報われた気分になって劇場を後にした。


共感は全くできないにせよ、物語の筋が通っていて気持ちよかったなー。
しかも、構成が妙であった。

陣治が飛び降りる瞬間に、初めて2人が出会った瞬間に画面が切り替わる。だから今まで見ていたのは誰かの悪い夢だったのではないかと錯覚した。それから徐々に現在に近付いていくので、あ、現実なんだって。

黒崎との思い出もところどころに差し込まれる。それは十和子の思い出と、またそれを映像に残してあるものとがフュージョンされていて。幸せなだった頃を未だに覚えている十和子に辛そうな視線を向けている陣治の気持ちは、完全にミスリードだった。。
別れると言われたときに奥さんに関係をバラすと脅してリンチされた場面や、黒崎を思わず刺してしまった場面。時間関係がバラバラなのか、それとも継時的に示されていたのか全然わからなかったから繋がるまで混乱した。(実際は失踪が5年前、また会いに来たのが2年前だったっけ?でラグがある)

黒崎にお金やなんやを工面してやっていた國枝役*3中嶋しゅうさん。不気味で嫌らしくて、何より恐ろしかった。数年前に病気でうまく体を動かせなくなったとはいえ、よたよたと十和子に近付いてくる場面とかもう恐怖。惜しい俳優さんがいなくなってしまったね。

エンドロールでは阿部サダヲ蒼井優が並んでトップクレジットだった。意外に、W主演となってても並んで名前が流れてくることってない気がしたから、これでこそW主演だよなぁと思った。

監督が映画誌で、最近は恋愛の恋の分だけ取り出したキラキラした映画が多く作られているけど、これは恋愛を描いた(曖昧なので後程修正しますね)ってお話されていて、深く頷いてしまった。これも果たして恋愛と呼べるかどうかはわかんない形だけどね。

*1:その建物には黒人が務めたことがないから、当然トイレはすべて白人用だったからね

*2:少子化対策だから異性という部分は絶対なんだろうけど

*3:黒崎が十和子を捨てて結婚した女の叔父