2017年9月鑑賞記録

52.トリガール
これは原作に忠実なのだろうか......?
というほどとってもコメディチックに作られている。
個人的には、それぞれのやりとりでくすっと笑ってしまう部分が多かったからこそ、ここまで振り切った演出しなくてもよかったんじゃないかなってちょっともったいなく感じた。

とはいえ、土屋太凰ちゃんのコメディエンヌぶりは見事だったなぁ。
間宮くんとの掛け合いも、メガネだらけのサークルの中で唯一爽やか系イケメンの真宙くんも。
おいしい役すぎる矢本くんも、いつもながらそのラインに並べられてるのが羨ましいなぁー。

特に、練習中やテイクオフした後の機内での丁々発止のやりとりとか超すきだったな。演技力ある人たち集めといてごてごて演出つけなくてもよかったよねぇ。

鳥人間っていう題材自体にアレルギーあるからな......ほんとそこは自己責任だけど、客観的に楽しめなかったのが一番の敗因。

蛇足だけど、たおちゃんてるろ剣で声が可愛い子って認識から人狼ゲーム ビーストサイドで決定的に印象づいたから、普通の少女漫画のヒロイン役だと物足りないのよ.....スイーツ映画もいいけど、ちょっと背伸びしたような作品を見たいなー。

 

53.関ヶ原
岡田くんも監督も結構な熱量を掛けた映画だと思って心して観に行ったのだけれど、なるほど納得、ただのドキュメンタリーだった。
近年......というか髑髏城イヤーだからなのだけれど、徳川家康のタヌキおやじっぷりがすごいよね......もともとそんな好きではなかったけれど、より一層好感度が下がった。笑

そして、石田光成。確かに史実としては負け方だし、あまりいい書き方をされてこなかったんだけど、岡田くんが演じることによって一本筋の通った武士道を持つ男だったんだなって印象が塗り替えられたのよね。

特に忍びの女達に対する態度ね。どっちも主君に仕えるのだけれど、家康は政治にまで登用した蛇白(伊藤歩)をまるで道具かのように刀を避ける盾のように使い捨てる一方、三成は初芽(有村架純)を大切なパートナーのように扱う。
拾われて使われるとき、「女とも人間とも思ってくれなさいますな」と言っていたのに、そりゃほだされちゃうよね〜〜。

忍びとはいえ、救った若い女に残りの人生を一緒に歩んでいきたいと伝えてしまうほど入れ込んでしまうのも疑問だったけど、初芽もなんだか主君を好きになってしまうというのもあるのかないのか......フィクションに文句つけんなよな、自分。

あれこれあって、小早川秀秋東出昌大くん)が三成に加勢できなくなって西軍は破れてしまう。なんとか逃げるも、一時匿ってくれた百姓が責められることはできないと言って逃げずに追っ手が来るのを待つ三成。助けに行けなかったことを謝る小早川と、今はもう敵なのだから詰ってくれとここでも庇う三成。この辺りの流れで完全に石田三成ファン。いい人じゃんか......どうにかして報われて。。
ほんと、東出くんもうまくなったよね...クローズあたりから聖の青春まで感じていたなんらかの違和感を全く感じなくなったよ。

最後、なんとか生き延びていた初芽と、捕らえられて連行されている三成の芽が逢う瞬間がたまんなかったね。でも、三成は自分が死んでもなお大切に思った女が生きていて、そして生き続けてくれるというのが希望になっただろうし、あの瞬間の初芽ももはや忍びでもなんでもなかったけど、ただの女という感じでもなかったんだよなぁ。生きていたってことを伝えるまでは忍びの任務中で、これから先も生き続けていくというのが三成から託された祈りというか、想われ人としてその命を大切にいきていくという新たな目標みたいになってくれたらいいな。

赤耳役のしゅうさん、激シブだったね。スクリーンで見れてよかったよ。

 

54.あしたは最高の始まり /  Demain tout commence / Two is a Family(2016・仏英合作)
この手の映画の感想は決まって「血の繋がりよりも一緒にいた時間・絆が一番大事」に終始すると思うのだけれど、それではなぜ親権裁判では生物学上の父母が優先されるのだろうって思うのよね。
こんなにも人の意志は同じように感じているのに、裁判など第三者が判断する上で根拠とされるもの、データとして示せるものがなければ認めにくいとは思うし、納得せざるを得ないのだけれど......サミュエルがロンドンで暮らしていく上での生業として選んだのはスタントマン。でも親権を得るために、そんな危険な仕事は辞めて固い仕事に就くこと、英語を話せるようになることなどの条件をのむ。にもかかわらず、どうしても親権を取りたかったクリスティン(とそのパートナー)は遺伝子検査での親子関係を主張してくる。
せっかく取った親権なのに奪い返されるかもしれない...という危惧と同時に、親子ではないのかもしれない?という恐怖、そして実際に否定されたときのショックを考えたらもう居たたまれなかった。。

日本の芸能人でもあったよね遺伝子検査で親子関係を否定できるとか......そうだ、そして父になるでもそうだった。

変わらないのは人の営みではなくて、法律とかの方なんだろうな。どうにかできるのかできないのかはわからないけど。
でも、サミュエルとグロリアは確かに「家族」であるって、どの時代でも、どの国でもそう思える人たちが多いというだけで、まだまだ捨てたもんじゃないなって思える気がするんだ。
グロリアが治らない病気だとか、そんな設定が急にやってきて驚いたけど、悲しませないように別れのシーンを演出する部分めっちゃ泣いたわー。。大好きで会いたかった母親とこれから一緒に住めることになる(パパはいないけど)けれども、やっぱりパパと住みたいってさながら逃避行をするのも、残り少ない命(自覚はしてなかったかもしれない)がキラキラ輝く瞬間を切り取ったみたいでとっても眩しかったな。

この映画、メキシコ映画のリメイクなんだね。リメイクして何かが変わるのかな?っていつも思うんだけど、舞台の再演でも役者が違うと別の作品みたく見えるからそういうことなのかな.....(って舞台班になってから思えるようになった)

最後に。邦題はおそらく原題から来てるんだと思うんだけど、英題が結構好きでさ。このtwoの中にはベルニー(2人を拾ってくれたゲイのプロデューサー)が入ってはないのが”家族”ってくくりではしっくりこないと思うのだけれど笑、確かにサミュエルとグロリアは家族だったって伝わってきたのでね。

 

55.三度目の殺人
是枝さんとは趣味が合わないな......海街diaryはすごい好みだったのに。。

狙って作ってるからだと思うけど、最後まで真相が分からなかった......別にそれでもいいけど.........すっきりしないよね笑

色々な思惑があって、役所さん演じる三隅は供述をコロコロ変えていく。それは司法を翻弄したいのか、はたまた誰かを守りたいからなのか。

私が鑑賞したあと、三度目の殺人だって思ったのは、三隅が自分の求刑を死刑にするようにしたことだと思った。それに周りの人が振り回される話だと。
ただ、解釈違いにすると、福山さん演じる重盛が「事実なんかどうでもいい」という自分から生まれ変わったことが三度目の殺人だったって読み解かれてる方もいたみたいで。
確かにその意見も一理あるんだけど、それだったら冒頭から無機質な演技で始まり、事実を追求するところで爆発するような演技に変わってくれた方がわかりやすかったかな......元々そうだけど、歌うような節をつけて話すからね、どうしても盛り上がりが伝わりにくいなって思っていたので。

珍しい描かれ方だなと思ったのは、法廷の裏側のシーン。よく言えばシステマチック、悪く言えば予定調和に裁判が進むのが意外だった。よく考えれば、徒に時間をかけるわけにはいかないのだから、どの方向性で話を進めていきましょうっていうのはわかるんだけどさ......裁かれる側からしたらさ(もしかしたら裁いて欲しい側もかもしれない)、話を詰めて欲しいところに触れられずに終わることもあるのかもしれないな、と思ったり。や、そのために弁護士がいるのだとは思うけれども。

接見室でのお互いの顔が重なり合ってすれ違うように消えていくような画から、三隅と重盛の意見は完全一致して終わることはないだなと示唆されたような気がしました。

 

56.ダンケルク / Dunkirk(2017年・米)
この映画が史実に基づいたものだとはなんとなく知ってはいたけれども、恥ずかしながら、ダンケルクがフランスの地名だということも、第二次世界大戦の撤退作戦だということも知らなかった。 

クリストファー・ノーランらしく、重厚な話だなとは思ったものの、上映時間としてはそれほど長くはない。でも濃厚というか、ぎゅっと詰まってるといった印象。
陸・空・海それぞれで戦ってる兵士、市民が描かれていて、飽きなかったんだよね。

先にも述べたけど、このダンケルクが他の戦争映画と違う印象を受けるのは、”戦い”でも「撤退作戦」であるということ。国が、軍が、兵士が、そして市民たちが生きることを目的として戦ってる姿が描かれているのが、なんだか新鮮だった。

それはまぁ人間だから、自分が生き延びるということを優先するのは当然なのかもしれない。そして次に仲間を。
だから、イギリス軍の船が到着したらイギリス人兵士を優先的に乗せたり(結局沈められたけど)、斥候役を紛れ込んでたフランス人兵士に押し付けようとしたり、同盟国は同盟国でもただそれだけなんだなって実感した。同盟は組んでるけど利用し合うだけで別に仲間じゃないみたいな。

だからこそ、ドイツ戦闘機を追い詰めるイギリス人パイロットを海上から応援したり、危険を顧みず船を出して兵士を救出する民間のキャプテンだったり、帰還した兵士たちを詰るでもなく、おかえりと温かく迎えてくれた人たちに感動してしまったんだよね。殺伐とした戦争という期間の中でも人間らしい営みは変わらずそこにあるんだなって思えたから。

戦闘のトラウマを抱えた兵士に突き飛ばされてなくなった少年(青年?)は気の毒だったな......
あと、顔の判別ついてないのが残念すぎるんだけど、甲板に佇んでいてみんなを助けた彼は結局助かったんだっけ??何のために外にいたのだろうと思ってたけど、これもまた経験からそうするのがベストだってわかっていたのね。

戦争映画に後味を求めてるわけではないのだけれど、大義名分ではなく、そこにある人の心の温かさみたいなもの(あるいは冷酷さ)をじんわりと伝えてくれる作品でした。

クリストファー・ノーランがCGを使わない監督だと知っているからこそ、冷たい海の水が身をつんざくように感じられた。まさに、「映画は経験である」。

 

57.プラネタリウム / Planetarium(2016年・仏白合作)
うーん、、、主な出演者は、姉妹とその運命を翻弄される映画プロデューサーで成り立っている。

①姉ローラ:降霊術のショーの進行係。うさんくさいと思いながら見ている観客をその話術で引き込もうとする。妹を守ろうとして?なのか、自分の存在意義のためなのか女優としての仕事を始める。

②妹ケイト:降霊術のショーを行う。1人のお客さんの手を取り、言葉だけでなくその状況の幻をその場にいるかのように感じる人も。

③映画プロデューサーコルベン:ショーを目の当たりにして、姉妹をスカウトする。自身も父親の降霊を体験し、どんどんその力に心酔したようになる。その降霊術の様子を映画にしようとするも...

初めは姉妹とコルベンという構図であったものの、姉妹それぞれとコルベンの関係性の違いが出てきたことによって、関係がぎくしゃくし始める。(といってもローラが空回るような感じというか、自分が必要ではないような存在になっているように思ってしまったから)
会社やスポンサーは胡散臭いと思っていた降霊術、実際に撮影してみるのだけれど、「見える!」と主張するのはコルベンだけで、他の誰にも降霊したものを見ることはできない。不信感がピークに達し、コルベンはリコールされてしまう。

この後、降霊術を行うローラは白血病で倒れてしまい、若くして帰らぬ人となってしまう。
映画を撮影する際に装置をつけていたのだけれど、この機械が悪影響を及ぼすのではないのか?と思いながら見ていた。霊感的なものと電気的なものって相性が悪いらしいし、そもそも強力な電磁波って白血病の原因になるとかならないとかって話もあった気がしたからね。(もしくは、学園アリスのように自分の命をすり減らしていくタイプの力だったのかもしれない)

一方コルベンはリコールされただけでなく、ユダヤ人であるのにフランス人と身分を偽っていたなどして逮捕されてしまう。運悪く戦争であったことも影響しているのかもしれない。彼は自分がフランス生まれではなかったと言っていたけど、真実はどうだんだっけな。ナチスユダヤ人を迫害していたのは誰でも知っているところだけれど、他の国に潜伏しているユダヤ人をナチスに突き出す必要ってあったのかな?フランス侵攻とかそういう背景も関係していたのかしら。(このユダヤ人のダビデの星プラネタリウムの星*1を表しているという考察を見つけてなるほどと唸った)
終盤、ローラはコルベンが禁固されているところに訪れる。きっともう誰にも相手にされなくなってしまっただろうコルベン。それでも会いに行くローラのその複雑な気持ちを読み解きたくなってしまったな。初めはただのスポンサーだと思っていたのに、惹かれて、でも妹もコルベンもどちらも自分のものではないということを自覚させられて。どちらも失ってしまうことになって。それでも生きていかなきゃならないんだ。

この物語にモデルがいたということを今知って驚いたと共に、リリー=ローズはフランス語を喋らず(喋れるのかと思ってた)、ナタリーがフランス語を習得する役だったのが違和感だったんだけれど、ナタリーもフランス語話せるんだもんね、だからむしろ流暢に喋るなーと思った。(流暢じゃなくても気付かないけどね)

降霊術をする姉妹の運命が狂っていく―――そんな触れ込みだった気がするこの映画。確かに運命が狂っていく様子が描かれていたとは思うんだけど、なんだか主題がわかりにくかったような。というか、”降霊術を行う姉妹”と先入観が固められすぎてしまったせいで、何を言いたかったのかわからなくなってしまった気がする。
なぜ姉妹はアメリカからヨーロッパに渡ってきたのだろう。

最後のシーン、あれがプラネタリウムを表しているのはわかった。新しいスタート、リスタートであるということも。
オープニングのタイトルバックもね、多分それにつながるような映像だったと思うのだけれど、黄色いのっぺりしたフォントだけはいただけなかった。すごいちゃちいもの見せられるのかと戦々恐々としたくらい。

 

58.ユリゴコロ
子供時代→学生時代→大人
と役者を変えて、人の命が消えてゆくところからしか何かを感じる(拠り所=ユリゴコロ*2)ことができないという女性の話を描いていた。
これが過去パートで、現代パートは余命残り少ない父親と、その家から謎の殺人鬼の手記を見つけてなぜか没頭してしまう青年、そしてその婚約者。

キャストとしても、吉高友里子、佐津川愛美清野菜名、清原果耶、木村多江と実力派女優が揃ってるなーと思ったけれど、松坂桃李や、松ケンやお父さん役など、むしろ男優さんの映画なのかも......と思わされたり。
よく見たら、ポスターは松坂桃李、吉高友里子、松山ケンイチだったのだから、そりゃ比重高くて当たり前だろうとしばらくしてから思ったんだけど。

原作とは大幅に話が変わっているみたいだけど、シンプリファイされていて、理解しやすかったかな。ただ、登場人物が絞られているからこそ、美紗子は「あなた」に沈められそうになるし、亮介は手記の真相に一人で近付いていく。

少女時代、ユリゴコロを満たすために少年を殺すときに加担された青年と未来で出会うというのは結構な偶然だったね。因果とも言えるのかも。偶然で言えば、前職場で一緒だった女の子が自分の残してきた息子の婚約者であり、伝言を依頼されるというのも。

手記中での「あなた」に、美紗子は自分がただ必要とされたということが嬉しかったのかな。色売りの相手としてではなく。一方的に保護される対象であり(これはこれで彼のエゴでもあるけど)、かと思えば眠るまで手を取っていてほしいという些細な願いを叶えたり。物心ついたときからユリゴコロがなかった人に芽生える動機としてそれは大きかったのかな。「あなた」が纏う空気が自分と同じけれど違う種類の異質さを自覚させられたことで普通を認識できるようになったのかもしれない。それが自分が原因でそうなってしまったとして苦しんだろうし、でもそうでなければこうやって結ばれなかったかもしれない。(この過程がなかったら出会いたいとは思わなかった可能性が大きいのかなとも感じたけど) その相反する感情が描かれていれば主人公のキャラクターがもっと浮かび上がった気もするけど、全部描いても野暮だよね。簡単に推測できるし。(でもあのリビドーが戻ってくる描写は唐突すぎて繋がりが感じられなかったな)(美紗子以外の存在は全てあるがままの姿に戻った=欠損があるのは自分だけってことを示したかったのかもしれないけど)

血走った亮介の顔、既視感あったよね...日暮旅人かな?
と変に共通点見つけてしまうのが悪い癖だなと思いながらも、もしかしたら自分は手記の持ち主の殺人鬼の息子なのかもしれない......という自覚が芽生えてから急に殺人衝動が呼び起されるのもどうなんだろ?まぁ、そういう動機や行為への言い訳としてるだけだとは思うけど。

ただ、実の母の設定がまぁまぁ唐突だったように感じられたかな......いくらシリアルキラーだからといってすぐに居場所掴んで事務所乗り込んでヤーさんら一網打尽にできるかね......?まぁフィクション、まぁファンタジーということにして飲み込んだけれども。。

現場に残されたくっつき虫、わざとらしいとは思いつつもいい演出だったな。映画の筋ではきっと自分が母親だなんて明かさなかっただろうから。実際に声がかけられず、そのまま帰ってしまうところも含めてね。

 

59.マクベス
はー...体力の限界だった。
作品に申し訳ないことしちゃった。 

 

60.ナミヤ雑貨店の奇蹟
これ、とっても素敵な映画でしたー。

山田がヒーローでもアイドルでもない、いい人でもない等身大のちょっと擦れた青年役やっとやる時が来たんだねとちょっと歳の離れた弟を見守るような気持ちに。(実際に弟と同い年だし*3

とおるさんがおとなしすぎて、初めとおるさんだと気付かなかった。。施設の要職に就いて、少年たちに嫌われて、不正を指摘されてやっととおるさんらしくなってきたなぁって。笑(いい人の役もやってるはずなのにね)

林くんの夢を追いかける姿にも麦ちゃんがそのあとを追うような姿にもほろっとしたし、その伝えられていく歌がまさか映画の主題歌だったなんて全く気付けなくて。。アレンジと歌い手で全然違う印象を与えられるんだなというのがひとつ大きな驚き。

色んな話がホームに繋がるというのも縁深すぎるけど、「奇蹟」なんだからそれぐらいファンタジー感あっても飲み込める...のかもね。

現代パートでは3人組で動くんだけど、虹郎くんの立ち位置の難しさね。ヤンチャすぎず、優しすぎず、賢すぎず、存在感出しすぎず...立ち位置もさることながら、彼自体もあんまり印象つかめないんだよねぇーベースはディストラクションベイビーズなんだけど。。蛇足ついでに言うと、中村倫也くんもそのタイプ。笑

閑話休題。女社長の元に向かった3人はどうなったんだろう...自首したのかしら?ホームを思ってのことなんだから許してほしいなと観客的には思うけど、強盗にあった方を考えると恐怖でしかないよね......(さすがにあの手紙を書いた当事者ですとは名乗り出にくいと思うけど 恩人なのに勿体無い)

別にそういう対応とる人ばっかりではないと思うけど、手紙の返事に納得いかずに反論の手紙書いてくる人たちが多いことに地味に驚かされたりして。

 

61.ジュリーと恋と靴工場
フレンチミュージカル?と思って多少の期待をして観に行ったのだけれど、これは失敗だったな。

日本オリジナルミュージカルでたまにあるけれども、歌を挟む意味が見当たらないし、歌がただの歌なんだよね......別にキャッチ―でもないし、恋も仕事もじゃなくて、恋を優先するんだ......あんなに啖呵きって正社員になりたいみたいな意思表示をしていたのに?

まぁそのあたりも人間ぽいんだけどね、そんなぐらぐらしてたら支える方も大変だよと誰目線か分からない感想で終わってしまった。

 

62.亜人
迫力はすごいあるけど、長い。
......そんな感想だったのだけれど、実際の上映時間は109分。あれ、短いじゃん。

って思ってしまうくらい、内容が濃かった。

普段こういう映画だと、1本の中に複数の事件が詰め込まれていてなんだか物足りなくなりがちなんだけど、亜人VS政府という対立に沿って描かれているからそれほど不足も感じなかったかな。まぁ原作読んでないからだろうけど。

それゆえの疑問なんだけど、千葉くん演じる奥山の(元)仲間の頭部を切り離してドラム缶に詰めておくって処置をしたじゃない?あのあと、ドラム缶から音が鳴ってたからドラム缶内で再生したってこと?一番大きい肉片である身体は外にあるのに......?(もし頭部だけを収納できる小さい箱か何かに入れたままで身体を細かくされたらどうなるんだろうという若干の興味あり)

それに、おそらくどちらか(もしくはどちらも)の肝臓や腎臓を渡してたけど、輸送中にバラバラになったら、そっから復活しちゃうのかな?同一人物の複数の臓器があった場合はやっぱり一番大きいものから再生されるのかな。他の人に移植された場合、どうなるんだろうね。非自己として認識されるのかな。

あと、奥山は車椅子に乗ってるけど、障害は障害としてリセットしたとしても引き継がれるのかね?例えば手術してリハビリしたとしても、固有としての設定であれば無意味なのかな?

たけるんはアクションがうまくてやっぱり惚れ惚れしたし(突然亜人だって自覚した人間が戦闘に対応できるかどうかは不問とする)、城田優くんは映像でも舞台でもそれに合ったサイズのお芝居ができるんだなー素敵―✨と思った。(思えば舞台は見たことないんだけどね)

昔から冷たくて、亜人だと言われても違和感ないと妹に言われた永井だけれど、田中らと闘ってる時はそこまで冷静な人間だって思わなかったんだよなぁ...リセットすることで再生し続ける亜人の中で、どの部分で自己を保つと定義されているのか気になるところ。二次元好きとしては、世界に亜人としての記憶が記録されているので、全身が木っ端微塵にされてもあたかも同じものが蘇るということにしておきたい。

終盤の戦いのシーンさ、亜人の侵入を予測していなかったならまだしも、していたのに軽装備のままでいるのもどうなのかなと思ったけどね。飛びつかれて首捻り殺されるならともかく、防弾や首回りを守る何かで防衛していても良かったのでは?と思わなくもない。。

他の方の感想でも見かけたけどなんか既視感と感じていたのはジョジョのスタンドだね。別に似ていると見ていて思ったわけではないんだけど、どうやって撮影してたんだろ?って一瞬頭をよぎったのは、CG相手だったからだと思う。

突然黒い幽霊を出したかと思えばあれが亜人粒子だとか判明するし、はたしてそれはなんなのか説明してくれなかったね。だから複数出せるんだとか、声出せるのとか、永井のスペックの高さが浮き立ってこなかったのがちょっともったいなかったかなって。(このあたりは原作知ってる人からしたら説明過多になるから難しいバランスではあるんだけど)

浜辺美波ちゃんやっぱりいいよねー無痛から入ったからこそのギャップでとっても贔屓してしまう気がする。吉行和子さんもねー出てくると画面がほっこりするよね...ナミヤにも出演されていたから、既視感というか、別の物語が捩れて繋がったかのような不思議な感覚を味わった。

*1:ローラがケイトに明るいとき(平和な世界を隠喩?)には見えないこともあると語っていた

*2:作中では心を動かすようななにかという意味で使われていた

*3:蛇足