2017年7月鑑賞記録

39.忍びの国
雰囲気としては無限の住人に近い感じがしたかな。時代劇×ロックという点で。
でも、忍者を主人公に置いているから、自然と殺陣も立体的な動きになり(だからワイヤーアクションが必要とされたんだね)、特撮というか、アニメのようなコミカルさもプラスされて新鮮だったな。あれ、結構ワイヤーとかCG使っていると思ってたけど、パルクール多用されてたんだね。。そう考えるとすごいし臨場感ありありだからそれを踏まえてもう一回見たいかも。

導入部分を理解するのにちょっと時間がかかって。あれは、同じ伊賀の中でのお家同士のいがみ合いだったってこと。だから、「川」と呼ばれる対決方法に誰も疑問を覚えていなかったし、敵味方関係なく闘うことなく観戦してたし、囃し立てさえもしてたし。
だから鈴木亮平くん演じる平兵衛の異端さが際立っていた。弟を殺されて悔しいし、それを悲しまない同胞や平気で殺す同胞が憎いという気持ちを抱くことが。いや、こちらからみれば常識を持っている唯一の人なんだけれど。

伊賀はエリートファミリー集団のようなイメージがあったからこそ、子供を買ってきてその流派の術を学ばせる(能力があるものだけ)タイプの集団であると描かれていたのが意外だった。だからこそ人の情とか痛み(これを感じていては忍びには向かないものね)よりも自分の損得感情で動くというのが当たり前になっていて、それは無門ももちろんそうだった。
だから牢屋で器を受け取ったときも、姫との約束を実際には果たそうとしていなかったし、命を賭してその願いを果たしたいというのを理解できていなかったし、平兵衛の言葉の意味を理解できなかった。

でも平兵衛の最後の川での戦いの後、意図を汲み取って十二評定衆を討とうとしてお国を亡くす。その時に、自分がいかに人でなしとして生きてきたのかっていうのを痛感するんだ。そこで初めて平兵衛の言っていた言葉を初めて認識できたし、幼い子が忍術修行で死んでいくのが可哀想って言っていたお国の言葉も理解できたと思うんだよね。
それにしても、お金でしか動きたがらない下忍たちをそれならとお金(高価な茶器)で動かして無門を守ろうとしたお国なんだけれど、まさかそこまで伊賀者が人でなしだとは思ってないから、自分を殺して奪おうとする考えには至らなかったのがなんとも言えない。御金に釣られて戦場に戻ってきたのを見ていたのにね。まぁ武家ではありえないふるまいだからだろうけど。

最後は、伊賀が織田に攻め入られたときに無門が救った子供(お国が気にしていた子)と生きていく姿。その救われた子供を息子として育て、それ(成長した息子)がナレーションでしか登場しない山崎努さんだなんてなんて粋なんでしょう! 

伊勢谷さんが新宿スワンでも忍びの国でも時代問わずかっこいい。重厚感ある役に絞られるのかな?と思ってたら妻子捨男でもあったしね......なんでもできるのね結局。

ねんちーと平(妹)がお互いを”つま”って呼んでいて、あー時代劇だ~ってなんだか嬉しくなりました。細かい。

原作は映画とやっぱり違うみたいだから読んでみようかな~。

 

40.結婚
観劇にかまけてたら、全然映画が把握できてなかった。。特に角川系が手薄だな......

得意の比較好きを発揮すれば、ニシノユキヒコの恋と冒険、醒めながら見る夢の雰囲気に近いかな?と。(特に前者はストーリーというか画作りという意味で)

ディーンさん演じる結婚詐欺師と、それを取り巻く女たちのお話。
いやー、詐欺に引っかかる女を見ていて苦しくなった。。騙されて可哀想というよりも、結婚にそれほど執着しているんだな...って。個人的には騙された後の生活の方が気になるけれど、それはまた別のお話。
ちょっと面白かったのが、結婚したい女、結婚したくない女どちらも出てくるけど、切り口を変えてあげたり、くすぐってほしいポイントを褒めることでコロッと心を開いてしまうこと(警戒心なさすぎだとも思うけど)。詐欺師はこうやって騙すんだなってゲーム攻略と同じだなーって考えてしまった。

奥さん役もといお母さん役で貫地谷しーちゃんが出演しているんだけれど、演技巧者でさえ、彼女の前に立つと嘘っぽく見えるってすごくない??
初めは半信半疑だったけれど、しーちゃんの声に聞こえるようで聞こえないようで...わざと声色変えたパターンも撮ってたのかな?最後はちゃんとしーちゃんの声に聞こえたから。息子を突き落すシーンぞっとしちゃった。産んだんだから母親の責任は全うしろとも思うし、母の役目のために自分の幸せを逃してほしくないとも思うし。というか、子供ごと受け入れられない男なんて狭量すぎて一緒になりたくない気がするけど...?

想像の中での奥さんを母親の姿に設定するってどういう意図なんだろ...幸せで温かだった家族のイメージを引きずっているということかな。テーブルの上のシャインマスカットの数が減っていくのが、終焉までのカウントダウンを示している演出がわかりやすかったから、なくなってこの生活が破綻していくのにそわそわしてしまった。

「幸せを感じさせてやったんだからいいだろ(ニュアンス)」
お金をだまし取られた女たちの前で言うセリフ。その後、「結局俺は誰も幸せにできてなかったんだ」と続くけれども、
確かに女たちは魅力的な男と結婚できるってことに幸せを感じてはいたけど、それはその後に続く結婚生活を含んでいて、だから男にお金を渡したんだよね。「ふたりのことだから」って未来に投資する意味で。その瞬間瞬間を評価する男と、先を見ている女の視点の違いが面白かった。

最後の結末のつけ方よりも、その前の古海の過去と嘘が明らかになるところの方が意外性あったな。幻想であったからこそ、奥さんとの間に子供ができなかったんだ。
(というか奥さんとは頑なにそういうシーンがなかったもんだから怪しかったよね) 

結婚詐欺に引っかからないためには、まとまった金をもっていなければ大丈夫☆と変に自信をつけてしまった。(?) 

 

41.銀魂
公開日の深夜にしては客入りよかった。さすが眠らない街歌舞伎町。

原作は未見なので、比較とかはできないんだけど、原作も福田さんも小ネタを入れるのが好きなので相性はよかったのかな?

話に集中しようとすると小ネタが挟まってきて集中力削がれるからな......そもそもそこまで真剣に見るようなものではないのかもしれないけれど。
終盤での小栗銀時と堂本高杉は、小栗くんの存在感も相まって、まるで髑髏城の七人で捨之介と蘭兵衛が立ち回りしているみたいだったー。とってもよかった。剛くん、髑髏城出てくんないかな。月髑髏にお声かかってなかったら、7年後くらいまで待たにゃいかん......膝的な問題でNGかな?

あかりんはいい女優さんになったよね......私はまだどうしても真賀田四季の印象が強いのだけれど。

私福田さんの演出すごい好き!!!と思ってたけど、よくよく考えてみれば半分くらいしか作品を拝見したことがないし、しかもその打率も5割くらいなんだよね...笑 なんでこんなに好きなんだろ?
いつか文ちゃんも演出してほしいなあ。

 

42.アオドクロ
アカドクロとの対比が美しかったね。(長かったけど)

・衣装がすごい。ソリッドで冷たい。
・音楽がロック
・捨之介が(チャラいけど)風流だし、染様だからこそ説得力ある
本能寺の変始まりって新感覚
・女性陣が何だか唐風
新橋演舞場ならではの場面転換に感動
・長い
・池内くん思ってたよりしっとりした蘭兵衛だった
・贋鉄斎死ぬんだ...
・三宅さんも山中さんも出てる......
・ラサールさんのタヌキ親父感
・高田さんの露出度高すぎ、杏ちゃん気が強すぎ(褒めてる)
・え、アツヒロ先輩...........??

・いつか文ちゃんも....(略)

 

43.ボンジュール、アン/Paris Can Wait(2016・米)
ソフィア・コッポラのママ、エレノア・コッポラが80歳にして初長編映画監督・脚本に挑戦した作品。自身の体験を基にしたロードムービー

来日の時のインタビュー読んだけど、
・妻/母として生きてきた、才能ある女性のためのお話
・今作のテーマが「異文化に接した時に感じること」で、「日本に対しての感動がヒントになっています。華道や日本人の自然を愛する感性に感銘を受けているんです」と監督が明かしたこと
・この作品は6年間、資金集めに奔走しなければならなかったこと、映画にお金を出す人々は、女性の物語で、女性監督の映画には引いてしまうという事実

ターゲットが狭くなるのはしょうがないけれど、女性の地位が低いと言われているハリウッドだからこそ苦労したわけではないことを祈りたい。(そもそもこれはハリウッド映画なのだろうか?)
斗真の彼編む、みたいに賞を取って認められたり注目されたりされたらいいなと思っている。

さて、内容だけれど、いい意味で女性監督らしい作品だった。人の心の推移とか機微とかに焦点を当てているので、結末・決断がはっきりとは描かれていないの。私はあの終わり方でとっても満足。

冒頭、日本人を揶揄するような表現があったけれど、皮肉を言ってもらえるくらい認めてもらえてる存在なんだなと感じた。途中花を手折ってピクニックの食卓に飾るのは外人ぽいなと思ったけれど、一方でインタビュー中にあった、華道や自然を愛する心って意味も含まれていたのかなぁ。
そうそう、アンがテーブルの薔薇の香りを楽しんでいる時に「ワインには邪魔な香りだけどね」と言ってのけたフランス人の感性、大好きだなぁー。

アンの夫マイケルは敏腕な映画プロデューサーだけれど、仕事以外何もできない男。常備薬も靴下の在り処もわからない(どこまでフランシス・フォード・コッポラが投影されているんだろう、笑)*1。基本的に妻のやっていることに興味はないし、無駄な贅沢を嫌う。ホテルの水が高いと言い、サンドウィッチとチーズを頼む妻に対して文句を言ったりする。
そのくせ、売名目的ですり寄ってきた若い女には、アンからのプレゼントのロレックスを下げ渡したりする。アンには失くしたという嘘までついてね。普段、どれだけの不満をアンは受け入れてきたんだろう。そしてどれだけそれが仕方がないことだと飲み込んできたんだろう。

アンが自分のこれまでとこれからの生き方を疑問に思うよりも早く、観客にそれが提示されるシーンがある。
有名人のマイケルだから、カメラを持った記者が寄ってくる。欧米だからこそ(と私は思うけれど)側にいるパートナーと一緒に写真撮影に応じる。けれどもその記者はペアではなく、マイケル単体をファインダーに収める。……これどう?アンには伝わっていないけれど、記者含め、受け手である大多数の人にとってはアンは何者でもない存在って示されてる。それはそうなんだけどね、アンは妻であり、子供にとっての母としてしか生きてきてないから。というか何者でもないのが普通といえば普通なのだけれど、印象的だったな。

子供が大学に入り、手が離れた。これから好きなことをやっていいとなってもいきなり何をしたらいいのかわからない。夫は仕事にばかり注力していて、自分に対して興味がないことは分かっているけれど、子供の母親であるし、妻として生きてきた人生を否定することになりかねない選択には踏み出せない。意外にアメリカ人も日本人と結婚観はそれほど大差ない人もいるんだって軽いカルチャーショックがあったりなかったり。「合理的な結婚生活と人間的な本能」を大切にするフランス人が羨ましくなるよ。これを語ってた人物は結婚してなかった(バツありだった?)けどね。笑

さて、この映画はロードムービー。Road to Parisだけれどもお供は旦那ではなく、その仕事仲間のフランス人。その展開だと思ってなくて結構戸惑った。

さっさとパリに着いてしまいたいアンと、自由気ままに食や観光を楽しみながらドライブするジャック。既婚者でも関係なく女を口説くフランス人を警戒して連絡を寄こすマイケル。そんな3人の会話によって映画は進んでいく。

ジャックはいつからアンのことが気になっていたのかはわからない。ただそれがフランス人の性というのかもしれない。ちょっとの下心はあるけれど紳士で溢れんばかりのホスピタリティ。香りが好きだと言った薔薇を贈るために、GSにアンを放置するし、車が故障したのにも係わらずピクニックを優先させたりマイペースすぎて食傷気味。そんなジャックが自分に関心を寄せてくれていると分かったアンは少し警戒する。途中でカードが使えないから支払いにカードを貸してと言ってきたりだいぶ胡散臭いしね。
けれども、カンヌからプロヴァンス経由パリまでの2泊3日(まっすぐ行けば6時間くらい?だったかな?)のうちに、夫のマイケルとは違ってジャックがアンを肯定してくれることに気付く。素敵だと言って褒めてくれるのはもちろん、写真の才能、これから何にだってなれるよという言葉。これは自分を見失っていたアンに対して最高に背中を押してくれるものだったんだろう。
世界中だいたいどこに行っても通じるEnglish Speakerのアンだけれども、ここはフランス。英語が話せる人がいないわけではないけど、それほど多くは出てこない。圧倒的マイノリティ。コミュニケーションどころかレストランのメニューも読めない。ジャックには頼るしかないし、一方で頼もしくも見えたことだろうね。

徐々にアンはここまで来たらパリに急いで着かなくてもいいかなって感じるタイミングがあったのかな。私はアンの中で何かが変わったのは、運転が怪しいジャックが運転する車の中で眠ってしまったところかなって感じた。心配や不信感、心休まる関係性じゃなかったところから、安心感へと切り替わった。
それからは休憩や食事なんかで寄り道しないで一直線にパリを目指してって言っていたアンが自分から寄り道を提案し始めた。時間つぶしの道中でなく、「楽しむ」ということを取り戻していったんだ。

そんな大人同士、くっつくかくっつかないか分からない。約束の場所にアンが現れるかは分からない。でもそんなティーンのデートみたいなところから新たに関係が始まるかもしれないっていう第二の人生、素敵じゃない?

初めはカードがないし現金もあまりないとか言ってたジャックたけど、きっちりレシート付きで返してくれるところがだいぶ好印象。調子だけがいいフランス人から意外に信頼できる人なのかもって思えるよね。

 

相変わらず、アンが恋に落ちる瞬間がよくわからなくて。まぁ彼はウィットだし楽しい時間だし実際に接したらそうなるのかもしれないけどうーん。。
...と思ってたけど今気付いた。日本の文化でろでろで育った私は、少女漫画をはじめ、「さぁここでときめいて!!」「胸キュンシーンはここ!」「萌萌萌萌萌萌萌萌萌萌」など、受け手誰にでもわかるような形で提示されてきたから、登場人物それぞれが感じる弱いツボのようなものを探すのが苦手なのかもしれない。

 

44.君の膵臓をたべたい
良質な日本映画という感じがとってもよかった。変に泣かせにかかってないように感じられた。とはいえ、病気ものだからそういうシーンは少なくはないけれど(目と鼻を真っ赤にして帰った私)。
そう感じたのは、多分最後まで桜良の両親が出てこなかったからだと思う。その子に対して心配したり怒ったりするのはその友達役の子が担っていたし、その子は病気について知らなかったから余計に悲しみを表現する人が少なかったから。

全体的に通して学校の先生がちらっと映るくらいで、高校生パートでは大人の存在が排除されていたのが、視点が統一されていて、お話としてシンプルになっていた。原作もきっといいんだろうなぁ。

実写になったことによって変わったのは、”僕”役の高校生パートと大人パートの役者が違うことだろうな、と。まぁ無理がなくもないけど、小栗旬が高校生役やってもよかったんじゃ?と思ってたところ、北村拓海くんがとってもよくて。自分の殻に閉じこもった排他的な感じが徐々に開いてくるところが特に。大人になったおぐりんもまた、高校生のころから変わらない人付き合いの下手くそさ(生徒に対してはナチュラルだけどね)が残っていて、あぁ同じ役演じてるんだなって感動。

桜良役の浜辺美波ちゃん。いい女優さんが演じてくれてよかったなぁーと。失礼ながら、それほど名前が知られているわけではない女優さんが演じてくれてよかった。例えば広瀬すずちゃんもハマると思うけど、やっぱり心のどっかで広瀬すずだもんな~と思って見てしまうことがあるからなー。
この役に関しては、死ぬことが怖いことを隠して明るく生きる、自分が死んだことの周りの人たちを思いやってあげられる強さがあって、”僕”の中にずっと生き続けているヒロインだからどこか夢の中のような現実味のない存在である必要もあったと思うんだけど、まさにそんな演技だったのよね。話し方もどこかアイドルみたいで...なんだろ生き生きしている生身の女の子なんだけど現実味がないというか。
多分、日常に突然現れてその存在を受け入れられない”僕”に同化して観ていたからなのかも。

あとは、同じ場面、同じ景色から時代が切り替わるところが自然で好きだな。

 

死ぬまでにしたいこと「彼氏じゃない男の子といけないこと」
ってどうして彼氏だとといけなかったんだろう?”僕”が彼氏ではなかったからなのかな。それに対して”僕”はどうしてあんな衝動に駆られたんだろう。からかわれたことに怒っただけなのか、男だって意識されなくて悔しかったのか、死ぬまでの思い出づくりなんだから付き合ってあげた方がいいんだろうかという優しさを発揮しようと思ってたからなのか。(それともただのリビドーだったのか)

桜良は病気でなく、通り魔に刺されて亡くなってしまう。その何者でもない奴のせいで死ぬことになったのはやりきれないけれど、命が先細りになっていくのを見るのは辛かったから、いっそさっぱりと終わりが書かれていてちょっとほっとしたところもあったり。
でもやりきれないのは、最期の旅行と覚悟して出掛ける途中だったってことだよね。男1人では居辛いスイパラで待ちぼうけ食っている(けれど本人はもはや苦には思っていないというところにも2人の過ごしてきた時間や濃度が透けてきて辛かった)よりも、余命短い娘が一時退院したのに、家で家族で過ごすのではなく、友達と旅行に出かけるのを見送った母親の視点が苦しかったな。でも久しぶりにあんなに生き生きした笑顔を見せられちゃ、好きなことをさせてあげたいって思うのかもね。

桜良が亡くなってから1ヶ月、”僕”はショックで引きこもってしまうのだけれど、共病日記を受け取ってから初めて「泣いていいですか...」でやっと泣けたところで共に涙腺が決壊。お母さんの「ちゃんとお別れしておいで」も優しくてね...沁みるぜ。
桜良の「きっとお葬式には来てくれないと思うから」って伝言もね、ちゃんと彼のことを理解していたんだっていう最後の最後の気遣いというか思いやりがねー。あんな風に生きられたらよかったって思った。

でも、亡くなって1ヶ月も引きずるような”僕”とは思ってなかったからなぁーそれほど彼の心を占めるようになっていたんだってことなんだろうけど。心情に潜り込みにくいキャラクターだったな。

そうだ。矢本くんはいつもいいとこもってくね。ハマケンとかと同じラインになっていくのかしら。 

*1:何もかも面倒を見てあげないと生きていけないような男に仕立て上げてから別れたという唯川恵の小説を思い出す