「彼編む、」誘発的考察

突然ですが私、母親になってみたいんです。
でも一方で自分で産まなくてもいいとは思ってます。だから、正確に言えば、母親というステータスを経験してみたい。
世のお母様方から見たらずいぶん甘えた考えだとお思いでしょう。それはわかってます。だからまだ思っているって段階なんですけど。

女性ってなんだかネガティブな存在ですよね。
赤不浄があるせいで戦前には避けられたり、入山できなかったり(これは山の神が女性とされている説もあるけど)、占星術では陰陽の陰とされたり。時代が変わって現代では「母親」というロールを押し付けられて父親よりも負うタスクが多かったり、なぜか共働きなのに家事などの分担が多めだったり(家庭にもよるし、主婦になりたい願望がある女性もいらっしゃるので、一概には言えないんですが)。

ふと雑誌タワーの中にあったROLAを読み返すと、「女性は伝統的にそして現在も男性に選ばれる性」であると書いてあってなるほどなぁ、と。潜在的に男性に選ばれようとしている行動もきっとあるんでしょうね。*1
男性が表に出ている社会のが表ならば、女性でなければなし得ないことが裏であると。誰が決めたんでしょうね。表と裏。別に裏なら裏でもいいけど、表に出る必要がないとされるのには我慢ができません。

閑話休題
で、その代表格が出産じゃないですか。
ちょっと(?)前に受精卵を大腸に着床させることで妊娠・出産が可能であるという発表が見られた気がしますが、もちろん実用化されてないでしょうし、安全性は確保されてないでしょう。だから、身体が女性に生まれたことでしか、当たり前(というにはリスクが高い行為ではあるけど)に行うことができないタスクだなぁと認識しています。そんな能力を持っているのだから、いつかは行使したいとは思うけど、優先順位が下なものでね......別に必ず経験したいわけではなし。

さて。掲題の「彼らが本気で編むときは、」の主人公リンコはトランスジェンダーの女性でした。
きっと物心ついてから心はずっと女性。だから体育の授業で男の子と同じ格好をして、男の子に肌が見られることに大きな抵抗があった。それを周りの人たちは馬鹿にするように笑っていた。残酷ですよね。学校生活では悪気なくマイノリティを笑いの種にしてしまうのだから。日本だけに限らないと思うんです。自分と違う=変なものという認識をしてしまうのは子供の特性の1つだと思っていますけれど。 

いつのころからか、LGBTって言葉をよく目にも耳にもするようになりました。
そのうちのT:トランスジェンダーとはこころとからだの性が一致しない人のこと。それを一致させたいと思って手術に踏み出す性同一性障害の方とは若干違います。(リンコは手術したので性同一性障害と言えますかね)

また、性同一性障害性的嗜好は更に別のお話。 

映画の中にはおそらく、ゲイ(と言えるだろう)男の子が出てきます。母親に「リンコは普通じゃないから付き合わない方がいい」と言われ、息子がゲイである可能性を信じたくなくてその恋心を否定されたことによって、自殺未遂にまで追い込まれてしまいました。
リンコとその恋人マキオに一時預かられていた女の子トモはそんな嗜好を打ち明けられたときには、自分の気持ちに正直に「気持ち悪い」と発言してしまいます。その後、リンコと一緒に過ごした時間を経て、「(同性愛について罪深い存在であると息子に言って聞かせた、)あんたのお母さんは間違うこともある」とその男の子のような存在も、その気持ちも認めてあげることができるようになりました。柔軟性がすごい。子供を育てるのは勉強とかの教育も必要だけれど、そのような環境も必要なんだなって改めて思わされたというか。

柔軟な子供に対して、凝り固まった大人の価値観では。
あくまでもフィクションとはいえ、トモを迎えに来た実の母親に「あなたが、母親(になるというの)?」とリンコが鼻で笑われるシーンがあるのですが、もーーーーーーーーーーーー憤慨した。。血は関係性の中で最も濃いものであることは否定できない。でも、親って血のつながりだけで子供を育てられるわけではないじゃないですか?子供を育てていない私が言っても薄っぺらくなるのでこれ以上は言いませんけど。

リンコの母親も強かった。リンコを女の子の体では産んであげることはできなかったけど、欲しがってるだろうと思ってブラジャーや偽乳を与えてあげたり、「私はリンコが一番大切だから」と娘を傷付ける相手は子供のトモであろうと容赦なく脅しをかけてみたりして。私はこの強いお母さんに自分の母親の姿を重ねて涙腺大決壊させてしまったわけです。笑 結局ずーーーっと泣きっぱなしでした。

その後いろいろあって(雑)、リンコはブツの供養を終えて、身体的に女性になります(工事の詳細を初めて知ったからびっくりした)。自分で子供を産むという完全な女性ではないけれど、性別や身体的な問題を問題とせず、好きになってくれたマキオとおじいちゃんおばあちゃんになるまで幸せに暮らしてほしいな。彼と彼女たちに優しい世界になっていきますようにと願う気持ちでいっぱい。

 

イムリーに閲覧したニュースでは、ディズニー実写化「美女と野獣」の登場人物に同性愛者が出ることでPG規制をつけたり、上映禁止にしたりの国もあるそうで。背景には、同性愛を禁止する宗教があるとか、法律があるとか。
法律に関してはまぁ色々考え方があるだろうけど、宗教に関しては難しいなぁと思う。特に日本のように宗教観があまりない場所だと宗教の影響をさほど受けず、多様性を認められなくもないけど、ほとんどの国民が信仰している宗教に属してしまった(それ以外の選択肢がない)場合は...禁止されていたところで、同性を好きにならないとは限らないと思うのだけれど。ましてや性同一性障害の人は存在を声高に主張することもできないし、存在していないはずはないと思うのだけれど。全ての人が生きやすい世界って難しいんだなぁ~...

戦国時代からこちら、男色の文化があった日本ですが、いつの間にかなかったことのようになり、そのような歴史的事実を知っても遠い世界のことのように聞こえてしまうくらいですからね...
フィクションでもノンフィクションでも描かれることがあるけれど、友達だと思っていた人が同性愛者だってわかったとき、急によそよそしくなったり気持ち悪いもの扱いするのなんなんでしょうかねー。ヘテロが多数を占めるとはいえ、自分の感覚が普通だと思っているのかしら?

個人的には「心配しなくてもお前みたいな差別大好き人間好きになるわけねーじゃん!!」と言ってしまいたいんですけどね。笑 まぁでも負の感情を向けられるとしんどいですからね。知らない人ならいざ知らず、ちょっとでも親しくしてもらったことがある関係性ならなおさら。きっとカミングアウトには多大な神経を使っているだろうから、相容れないなら理解はしなくてもいいし、拒絶もまぁ器の問題だから仕方ないとして、傷付けるような否定はしないでほしいかな。(私の立場とは)

 

ここで話は冒頭まで戻りますが、女性は生まれながらにして基本的には産む能力が備わっている。条件さえ揃えれば子供を産める。産める権利は生まれながらに持っているけれど、育てる権利は平等ではないのだなぁと思うことがありました。

実際東京都では単身者の場合、広い家に住んで児童養育の経験もしくは保健師看護師保育士等の資格を有していて、補助者と同居していてければならないというもっともらしい要件があるので、簡単には里親もしくは養子縁組は難しいことになっています。いや、確かに預ける方の気持ちを考えたら当たり前なんですけどね。怪しい人や責任感のない人、子育てを全くの素人のくせして周りに手助けしてくれる人もいないとなったらそうそう易々と子供を託そうとは思いませんよね。
でも一方で、キャリアを優先した独身の女性には収入があっても子供を引き取って育てるって権利さえ与えてもらえないってことなのでしょうか。パートナーが欲しけりゃ早々に作ってると思うんですけど......?笑  これって世界的に見てどうなんだろ?普通なのかなこういう要件って。

親を必要としている子供がいることは事実だし、もう少し融通の利くようになってくれればなぁ。施設で育ったこと自体は不幸とは言わないと思う*2。けれど、一対一で接してあげられて、褒めて肯定して、間違ったら指摘してってそういう時間がより取れる環境を与えられるような保護者になりたいなってぼんやり考えているので。

いつかそういう母親になるためには稼がなければなー。(現場減らすのが先に思うが)

 

なーんて、実は書き始めたの2月下旬のこのエントリだったんですけど、あれよあれよという間に時間は経ってしまい...GWに1日中WOWOWオンラインで北斗を見ていたんです。そこには後に犯罪者になってしまう北斗を里子として引き取る老未亡人が描かれていて...あんな無償の愛で別人格をまるっと受け入れるのには私はまだまだ未熟だな。。と実感して今に至る次第です。

最後になりましたが、テディ賞受賞おめでとう!

 

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生田斗真「彼らが本気で編むときは、」

関ジャニ∞「奇跡の人」

Sexy Zone「Sexy Tour 2017~STAGE」

全て2017年9月6日、同日発売!!よろしくどうぞ!!!

*1:先日エディプスコンプレックスについても触れましたが共通する部分もあったり

*2:そこに至るまでの経緯は別にして