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ちょっと考える時間ができたので、私の脳内人格について考察してみようと思う。と思ったら、女性はなぜ選ばれる性なのかというところに話が展開してしまったので、考察記録として。
なんでこんなことを考え始めたのか。きっかけはブログだったりドラマだったり映画だったり、昔読んだ漫画だったりいろいろあったのだけれど。
(先に言っておきますが、以後だらだら書くだけなので、真面目に読むだけ時間の無駄ですよ)

人格①女性としてめいっぱい楽しく生きる
おしゃれして、美容に気を遣い、出来るだけ人当たりをよくし、どうにかこうにか人の目によく映ろうとする。でも一番は自分が楽しんで生きること。好きなものに囲まれ、フラストレーションをなくして自分が思うままに生きる。→ポジティブな人格

人格②女性であることにコンプレックスがある(全面的に同意はしづらいけど、エディプスコンプレックスで言うところの男性より劣った性である女性であると考えている)
若くてチヤホヤされる内が華という前時代的固定概念に苦しめられ、子供は持たないにしても、結婚をすることで欠陥のない1人の女性として認められるような気がしている。仕事においては男性の補佐をする形も多く、結婚出産を経験した女性との種々の経験値差とか、大多数の女性が乗るべきと考えられてるルートに乗れない自分に対して不甲斐なさを感じている。→ネガティブな人格(自分に対するコンプレックスだけでなく偏見に満ちた社会からの視点を持ってる)

人格③自分が女性であるということにある種無頓着
個体数としては同じ1なんだし、別にどうでもよくない?自分の役割だと思ったことはやるけど。→フラットな人格(というより何も考えてない) 

表出しているのは③が多いって自覚はあるかな?
あと、自分の中に存在はしていないけれども、女性性を否定して、男性の社会の中でさながら男性として生きようとする人格をお持ちの人もいるかもしれませんね。

 

冒頭にちらりと触れたように、女性は”選ばれる性”と表現されることがある。しかし、選ばれるからといって、優位性が男性の方が高いのかといえば、それはまた別の話である。例えば、恋愛においては女性が受け入れがたければお断りができるからだ。一方、男性が多い社会(職種・環境によってはそういうケースもあるだろう)の中の女性はなんとなく肩身の狭い思いをしなければならない気がしている。

女性が同等に仕事をしようとすると「女のくせに...」と明らかに男性より下に見られたり、「女性なのに頑張ってる」など褒め言葉の姿を借りた差別を受けたり、「女性らしく~」と謎の枕詞を冠せられ、性差を売りにするように言われる場面もあったりして。

個人的には女だからどうこうと評価されたくないし、上司・同僚が性別問わず感情論に寄りすぎていたり非効率的・非生産的であればまず意識改革してほしいと思っている。
女性だから感情的であるという評価は間違いでそれこそ人によるし(男性だっているよね)、大人として、社会人として、最低限仕事に差し支えない態度や姿勢で臨めていればいいのだ。たったそれだけの個性を受容できなくて何が外資だ。何が多様性だ。(ただの愚痴)

 

芦田宏直先生がわかりやすく解説していた女性論をこれまた凝り固まった前時代的(現代にもないわけではないけどね)固定概念について当てはめると、結構該当するなと思ったので、挙げてみると、

女性は愛されることを通じて男性像を作り上げていく
愛す対象としての男性像がはじめから存在しているわけではないので愛すべき異性像が広く(好きになった人がタイプ)、その人好みに変わろうとする

愛されることによってしか自分の性を精神としても肉体としても引き受けることができない
=受動的(だからこそアプローチは男性側からしてほしいと思う大多数(?)の女性は本能的というかこの理論通りに生きていることになるね) 

主体的な能力や努力の女性とは、化粧をしたり、着飾ったり、知性をつけたり、キャリアを持つ女性ということであるが...女性の社会的な“出世”には、男を性として引きつける力はない
というが、そのような(おそらく後者は特に)選ぶ立場の男性からすると遠ざけられやすい傾向がある

男性の主体的な努力はそのまま社会的なパワーに繋がり、女性を選ぶパワーに繋がっている。社会的な成功と男性としての成功とはほぼ重なっていて、この落差は社会運動では改革できない
あくまでもこんな傾向が高いという話に終始しちゃうけど、仕事のできる男を女は好むが、仕事のできる女を男が好むわけではないっていうことかしらね

女性の社会進出という問題は、性としての女性の問題ではなく、女性は社会の起源であってそれ自体は社会的ではない、家族は出会いの結果偶然に成立した社会であるし、女性という性もまた偶然に(経験=学習によって)成立した性なのである。偶然に依存するからこそ、女性は「弱い」性なのである...男性は優しくなければならない、女性を大切にしなくてはならない

(最後大事なところ端折った気もするけど)つまり、主体的に男性を選んで付き合ったり結婚したからといって、その人に受け入れてもらえて愛されてもらえなければ、女性として満足を感じることはないということを突き付けられてしまったということになる。
確かに私は誰かを好きでいるだけで満足なタイプではあるけれど、それだけで満たされるということはないのかもしれない(肉体的な点で言うと特に)(特に必要とも思ったこともないけど)。

アイドルというある種実生活に虚構(架空?)の存在を好きでいることによって、(愛される、報われることがないと承前しているからこそ)一方的な愛だけで満足できてしまっているのかもしれない。

これってつまり不倫にも当てはめられるのかな。相手方の愛情が注がれる先があるとしても、精神的にも(男性の建前、欲望のための理由付けとして語られた言葉だとしても)、肉体的にも満たされることによって1人の女性が成立してしまうから、それを固定しようとして離婚をせがんだり、結婚したくなるのかな。なまじっか、アイドルではなく、実生活中で触れられる相手でしか成立しない関係だからこそ、女性性もしくは個人の確立なのか、はたまた家庭という(安定しているように思える)枠を確立したいと思ってしまうのか。
人のものが欲しいと思ったことがないから想像の範疇を出ないけれども。

 

 

...何の話だったっけ?

女性として社会の中で生きることと、女性の定義みたいなのは繋がらないようでいたけどフロイド論で言えば男性起点で考えることができるんだなー。

この女性論についての反駁が思い浮かばないということはほぼ同意なんだろうなと自己分析しながら、女性が主体的で意志を持った個体として生きていく方法とか考え方については考えが及んでないので、引き続き考えてみたいなと思っている。

なにせ書き始めてから1ヶ月超放置していたものだから何書こうとしていたのか忘れてしまったんだからね。笑

せっかくポジティブに生きていける人格を持っているのだから、それを活かして自分の枠(限界)を自分で設定せずに、蔓延してるステレオタイプに雁字搦めにならずに生きていけるように視野も器も大きい大人になっていきたいなぁって、そんなお話。
(これでまとまったかな?)

 

BLOG「芦田の毎日」: 【第二版】女性とは何か ― 女性にとって男性とは何か

こっちも面白かった。男性専用車両もメンズデーも作るから、平均年収逆にするねって言われて、受け入れられる人はどれだけいるんだろうね。

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