自担にお仕事が決まりました ~時代背景を学ぶ~
祝 浜中文一「ふるあめりかに袖はぬらさじ」 出演決定
おめでとうございます。
ありがとうございます。
宝塚歌劇団出身の方々、ベテラン共演者の方々、そして新し い演出家さんとの出会い、何より「主演 大地真央」に続く、浜中文一(関西ジャニーズJr.)のパワーワ ードったら、浜中担が喜びながら混乱を極めていたのが振り返って みるとおもしろかったですよねー(他人事のよう)
SHOCKがまだ終わってないのにうちの子ったら売れっ子!
音楽劇ですって!
SHOCKを経験して、歌や踊りなどを演劇中の要素として昇華で きるようになった文ちゃんに期待しかありません。
さて、さっそく原作を読んだのですが、実在する歴史上の人物だと は思うが誰かはわからない、聞いたことも見たこともない英単語 (調べたらいかにも遊郭っぽいものも)があり…実際にあったお話 を戯曲として語っているので、ある程度史実に基づ いている部分が多いのではないかなと思って学生時代の記憶と照ら し合わせて自己学習してみました。
が、信頼性は保証できません。私の忘備録。(堂々と全世界に公開 できる図太さに拍手)
まず、タイトルにもなっている
「露をだにいとふ大和の女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ」
は~、和歌(を読み解いているの)を読むたびに綺麗なダブルミー ニングと思いますよねー。
花に降る雨と、(一夜限りで)遊女を振るアメリカ人を掛けてるん ですねー。
ちなみにおみなえし(女郎花)とは、「美女を圧倒するほど美しい 花」という由来があるそうで。花言葉は、美人、儚い恋、永久、忍耐、約束を守るなどだそう。
おみなえしに例えて、遊女が自分自身を「他の女なんか目じゃないくらいに美しい」と詠んだということなんでしょうね。
■ここから時代背景へ。
幕末に詳しくなくとも、尊王攘夷という言葉を知っている方がほと んどだと思います。
そもそも「尊王攘夷」と四字熟語のように言われることが多いので すが、
尊皇:日本の正当な血筋での王=天皇を尊ぶ思想
攘夷:外人を実力行使で排斥する対外政策
のことで、実はイコールで結び付けられるものではないそうなんで す。
■用語
・佐幕:幕府指揮のもとで攘夷を行おうという思想。
・大橋訥庵:作中では遊郭でも刀を離さないと言われた、攘夷党の大親玉。
・水戸学:大日 本史(本紀・列伝・論賛)の編纂に取り組んだ。言いだしっぺは徳川光圀(かの有名な水戸黄門ですね )。家康が作り出した、「天皇は宗教上の元首である、将軍は政治上の元首である」=天皇は政治に口出しをしないなどの各種法度をベースにしていた。御三家の中でも水戸藩は将軍家を監視し、副将軍として補佐するように言われていたとかいないとか。(犬公方こと綱吉の生類憐みの令の行き過ぎを諫めたことによって、反幕思想を持っていると拡大解釈されたことも)
・後期水戸学:尊王攘夷思想の勃興をもたらした。幕府が朝廷を尊奉すれば、大名は幕府を崇拝し、家臣は大名を尊敬するというロジックがあり、幕府やそれに信望する各地大名の存在を肯定していたため、武士階級は多かれ少なかれこの思想に感化されたと考えられている。
(ここからは興味のある方だけどうぞ)
起こりは、①「正名論(藤田幽谷)」:君臣上下の名分を厳格に維持することが社会の秩序を安定させる要であるとする考え方,尊王思想のための理論的根拠を与えた。
■当時の尊王攘夷および日本の対外政策に関連する事件の年表らしきもの(本編に関連するものを赤字で記載しています)
1808(文化五年)フェートン号事件;オランダ船拿捕を目的と するイギリス軍艦の長崎への無断入港事件
1825(文政八年)異国船打払令;外国船は見つけ次第砲撃し、 追い返す
1837(天保八年)モリソン号事件;マカオで保護されていた日 本人漂流漁民の送還と、通商・布教を目的とした来航を打ち払って しまった
→異国船打払い令に対する世論の批判が強まった
1852(嘉永五年)松葉屋の遊女花園太夫が「露をだに~」の一句を詠む
ロシア船が下田来航するも追い返される
大橋訥庵「闢邪小言」
1857(安政四年)お園が「露をだに~」の歌を教わる←新吉原の遊女桜木(アメリカ人に板金を積まれたけれども首を縦に振らなかった)が詠んで流行った
吉原大火*3
1860(万延元年)ヒュースケン殺害事件;アメリカ人通訳が浪人に斬られる
1861(文久元年)亀遊療養中 <第一幕>
大橋訥庵捕縛、死
坂下門外変;老中安藤信正襲撃
1866(慶應二年)豚屋火事;遊郭まで炎が広がり、遊女400 人以上が焼死、外国人居留地や日本人町も焼き尽くされた。岩亀楼だけでも、30人近い娘が炎に包まれて、あるいは水に飲まれて命を落としたとの話もある
1867(慶應三年)思誠塾の面々が法事を行う、お園が斬りかかられる <第四幕>
明治天皇即位、大政奉還
ここまで書いて、これから私の読書感想文を。先入観を入れたくない人はここまでで。
ご覧いただきありがとうございました。
・「唐人口の遊女にはなりたくない。異人さんと寝るくらいなら死ん だ方がましだわ」と言っていた亀遊はこの言葉を有言実行したのか、藤吉どんに客を取るところを見られるのが嫌だったのか、恋が成就しないことを悟って絶望のうちに死を選んだのか、はたまた色々重なっていたのか。
・好きな人のためなら遊郭に身売りしてお金を用意してもいいと言うくらいなのに、唐人口になりたくないというのはそれほど人としての価値が低いことになってしまうことになってしまうのね...
・そもそも2人はいつ恋に落ちたんだい?
・酔ったお園が誰も看病に行ってやらないなんて~(結核を疑われて たから当然と言えば当然だけど)と言っていたけど、藤吉は医者を目指すだけあって 看病しに行ってあげたのかな?日本人相手の遊女と外国人相手に通訳では会う機会がなかったから看病の時が初対面だよね?そのとき??
・「通詞」という言葉だけ取ると、幕府の世襲役人になるし、世襲だったら遊郭なんかで通訳しないと思うんだよね。なぜ英語を学ぶ事が出来たのか、藤吉どんのバックグラウンドも気になるなぁ~瓦版もすらすらと読んでいたし、教育水準の高いいいとこの生まれなのかしら。
・女は囲われるだけで(ここでは遊郭、時代としては家の中)、外に 出て自分の立場を確立させることもできなければ人権すらも認められてなかったんだよねぇ。
・史実と照らし合わせると第四幕と豚屋火事との前後関係が合わないんだけど...旧暦換算とか必要なのかな?
・コメディトゥナイトでの内くんも女郎に懸想する役だったけど、文ちゃんが藤吉役だったら一緒だねー!(だから何だ)